『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【失敗】シンプルを目指さないこと

『』の考え方における授業で6月の時点で失敗していたことがありました。
それは、『』のシンプルな「形」を求めていたことです。
今考えると、昨年度は1年間を通して、よくシンプルな「形」での『』を実践していたと思います。(Findの福島先生のような授業です)
今年度の失敗の1つ目は、あの「形」にこだわっていたことです。あのシンプルな『』の形が全てだと思ってしまっていました。
本では理解していましたが、「形」にこだわっていたのは私自身だったと思います。


「なんとかしてあのシンプルな形にもっていきたい。」


そんなことを考えながら、4月から『』を実践していました。
でも本来、そうではなくて、あのシンプルな「形」というのは日々の『』の考え方における語りや授業の積み重ねでたどり着くものでした。自然発生的という言い方に語弊があるかもしれませんが、結果的に要らないものを取り除いていった結果、あのような「形」になるということだと思います。
また、『』の考え方における一番外すことができない「1人も見捨てない」という考え方を具現化することが一番しやすいのが、あの「形」なのだと思いました。

本では理解しても、「本通り」実践することの難しさを改めて実感した6月8日です。


そして、このことに気づくきっかけとなったのは、今年から私の学校にきた同じ数学の先生との相談(話し合い)でした。

自分から入り込むことで「得」をすることを、身をもって実感しましたし、改めて『』は教師としての生き方であることも理解する瞬間となりました。


目の前の生徒たちから意見を聞いて、「1人も見捨てない」という視点を持ち続けて授業づくりに励んでいきたいと思います。

教材研究と語りの研究

『学び合い』の授業はいたってシンプルだけれども、やればやるほど、突き詰めれば突き詰めるほど、準備に熱が入りすぎる。(時間を見てきっぱりとするように気をつけていますが)

 

まずは教材研究。

最近は、教科の本質をつくような課題設定を常に心がけている。それもシンプルな問いで。

具体的に書くと長くなるので書きませんが、もちろん評価するものとの対応を忘れることはせずに、しっかりと課題づくりはしているつもりです。

知識・技能の基本的なものから、見方・考え方を問う課題まで、本時の授業で何を学び取ってもらいたいのかをしっかりと考えながら、課題づくりに励んでいるつもりです。

学校図書の教科書で掲載されている数学的な考え方には、3つます。

「類推的な考え方」「帰納的な考え方」「演繹的な考え方」

中1では、今はこの「類推的な考え方」「帰納的な考え方」の2つの考え方を中心に勉強してます。そして、この言葉とどのように考えることが「類推的」であり、「帰納的」なのかを生徒たちに全て包み隠さず教えています。(当たり前ですが、これ以外にも身につけたい考え方はたくさんあります)

実際、生徒たちが説明するとき、「こっちはこういう結果になるよね。それでこっちの問題でも使えないか類推的に考えると…」「この問題は、帰納的に性質を見つけていくと…」などのように、もちろんまだ2割の生徒しかできていませんが、少しずつ充満していってほしいと願っています。

 

次に語りの研究です。

語りについては、本当に毎日悩みます。

言葉を飾ることはできるかもしれませんが、その言葉に思いが宿っていないと、ただの上辺だけの綺麗事になってしまいます。

だからこそ、『』の本にフォーマットはあるものの、それを自分の言葉にしていく必要があります。『』は心でする授業であるということの理由がそこに凝縮されていると思います。

語りをするときは、心が本当に苦しいけれど、本音で言う必要があることもあります。というか、ほとんどだと思います。

初任の時は、生徒たちに本音で厳しく言うことが中々できませんでした。今思うと、最初のスタートに全てが詰まっていたように思えます。

 

 

部活動も有る中ですが、両輪のタイムマネジメントを上手くしながらやっているつもりです。

 

本当に大切にすることは何かという視点を忘れずに、2つのことも頑張って取り組んでいきたいと思います。

 

「得」を説く語り

今年度の語りで、特に重点的にしていることは、集団の「得」となる行動が、結局は一人ひとりにとっての「得」につながることを具体的な例を挙げて話すことです。

それも、実際の学校生活の中でです。

 

給食活動は実はすごいんです。

私のクラスでは、片付けを2分30秒以内にできるようにすることをルールにしています。ちなみに、このルールは生徒たちが自分たちで時間を調整して決めた数字です。

「先生のタイマーを貸してください」

あとは生徒たちで自主的に動いていきます。

 

ここで、今日話したことです。

「今日は2分30秒いないに片付けることができたね。みんな本当にすごかったです。片付けなんだけど、片付けを早く行うことでなんか良いことはないか?休み時間が長くなる。中学校生活の休み時間は本当に短い。だからこそ、その休み時間を長く過ごすことができるのは非常に大切。みんながクラスの「片付け2分30秒以内達成」のために行動をしたことが、自分たちの昼休みの時間の確保につながっているよね。つまり、1人ひとりがクラスのために行動することは、結局は自分自身の「得」につながっているんだよ。」

 

「得」を説く語りは、先生自身の経験から伝えるときもあります。

でもそれは、初期の段階です。

やはり、クラスで起きていることからみんなに伝えることについて価値があるのかと思います。

 

 

 

【独り言】

書きたいことは色々あるんですが、1つ言いたいのは、やっぱり自分はまだまだであること。

しっかりと勉強、研究したい。

 

あともう1つ、やっぱり管理主義の教育の考え方と、『』の考え方は相反するものであること。

管理主義の教育で押さえつけられて育ってきた生徒集団と対するのが今の課題となっています。

 

僕の心の弱さ・強さが試されているんだろうなあと思います。

 

川西先生の『』の本の停滞期の原因は、もっともなことであると、本を読んで実感しています。

 

『』が考え方であるからこそ、今まで培ってきた考え方をほぐしていくことは非常に難しいことだなって思っています。

 

生徒たちもよく見ていますね・・・。

評価が甘い=集団がダレる

4月からスタートして、『』の実践で自分に足りないことがわかりました。

 

 

それは「集団の評価」です。

 

 

最近、3年生の1クラスなのですが、徐々に生徒たち何人かが、何か集団に対しての関心が向かっていないことが気になるクラスとなっていました。

 

わかり方は生徒たちの数だけ存在するので多様性を認めることが大切だと思っていましたが、それで点数が取れていない生徒が一定の数いる場合、良い学習ができていない証拠になります。

つまり、多様性を認めた学習をしていたとしても、点数が取れていなければ、よい折り合いをつけることができていないことの裏付けになります。

 

私はこの「点数にこだわる」ことを生徒たちに口でしか伝えていない状態でした。

ここが抜けていることが私の今の失敗だと気付きました…。

 

中体連前であることを言い訳にしたくはないのですが、だいたいクラブ終了が19時。

そこから色々と最近は生徒指導の電話などが入り、準備不足な部分があり、毎日の課題の精選はやっていたものの、「評価」のためのテストの作成はしていない状況でした。

 

だから、『』で生徒たちが、自分たちの所属する集団から無関心になっている生徒が出始めたのではないかと思いました。

今考えると、4月から『』の授業がスタートして、そろそろ慣れてきた5月から6月に差し掛かるこの時期。

私自身も認めたくはないですが、慣れてきた部分はあるのかと思います。

 

点数にこだわることで、生徒たちが自分たちの所属する集団からの関心がなくなることを予防することを、私自身が甘えて行っていなかったことを反省しているところです。

 

多様性を認めても、結果がでなければ、良い関係を築くことができていないことの証拠です。

折り合いをつけることができていない証拠です。

ただの仲良し学びと一緒です…。

 

自戒の意味も込めて書きました。

教師観に甘えが出ると、こうなることを改めて実感しています。

 

それにしても、「教師観:教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授は子供に任せるべきである」とありますが、実践すればするほど、この教師の仕事がどれほど重要で責任が重いかを実感します。

 

 

これから『』をはじめる人にも心を鬼にして言いたいのが、「誰でも本を読めば、はじめることはできるけど、長期的に続けるのであれば、今まで以上に力を注がなければいけない部分には責任があるよ」ということです。

 

 

 

【独り言】

『学び合い』の授業を生徒たちが求めている感覚。

1年生との教育相談事前アンケートで、「数学の授業が楽しい」との記述が多数。

 

初任の時はとても喜んだ。でも、今はもうその言葉には慣れた自分がいます。

 

それよりも、しっかりと結果が出ているのか。

また、「楽しい」から「愉しい」になっているかどうか。

知的な愉しさを追い求めることを3年目は大切にしていきたいと思う。

 

でも、もちろん、何十年後の幸せの先という目的があってのことなので、そこだけはブレないようにしたい。

昨年度よりも、ブレている自分に気づくスピードが早くなってきていることが1つの成長だと思う。

 

F先生の言葉を借りれば、数学の授業を通して良い集団を創る。結果として、数学の力も付いた。というイメージをもち、毎日の貴重な授業に臨みたい。

「得」と「損」

昨年度1年間で経験をして、自分自身が納得し得たものがあります。

それはチームの「得」になる行動は、個人の「得」になること。そして、チームの「損」になることは、個人の「損」になること。

 

『』の考え方の立場からすると、自明のことだと思います。しかし、私は頭では理解していましたが、

「本当にそうなのか?」

という疑いの目をもっていました。

 

例えば合唱コンクール

チームの「得」になる行動をしたとします。例えば、CDデッキの準備やピアノの準備、そしてクラスのみんなが音程を取れるようにするための家での練習…。そんな行動は全てチーム全体の「得」になります。

さらには、「合唱コンクールで最優秀賞を取りたい!」という目標をその生徒がもっていたとしたら、間違いなくその達成に近づきます。

逆に、チームの「損」になる行動をしたとします。例えば、練習中の私語、遊びなど。当たり前ですが、そんなことをしていれば、目標からは遠ざかります。

また、「最優秀賞を取りたい」という目標から、自分だけが上手く歌おうとする行動をとったとします。でも、合唱は結局はクラス全体で創り上げるものです。自分だけが上手くいったとしても、チーム全体の「得」にはなりません。そして、結局は「最優秀賞を取りたい」という目標からは外れる結果となります。

 

これは部活動にも言えます。私は野球部ですが、いくら上手い選手が1人いたとしても、その選手が周りに「損」になる行動をすると、結局は目標にしている「県大会出場」とか「全国出場」には程遠い結果になります。

一般企業では、このようなことは当たり前なんだろうと思います。

 

という語りを今日はしました。

そして、昨年度よりはこの語りに思いが伝わっている自信があります。

昨年度は恐る恐る言っていたことが、今では自分の言葉になっている自信があります。

 

「得」を説く。

 

このことを1年間を通して継続することを頑張りたいです。

そして、自分自身も、職員集団にとって「得」になる行動をどんどんできるように、色んな先生方を見習っていきたいと思います。