『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

削る

今この本を再読しています。

p82にこんな一文があります。

 

今の教育研究者、教育実践者は「良い方法は何か?」という問いかけを様々な場面に適用しています。私もそうでした。しかし、その問いかけは誤りです。その問いかけを「誰にとっての良い方法」と考え直せば、その問いかけに無理があるのは自明です。子どもは多様であり、そのすべてにフィットする方法などはありません。

 そこで「良い方法は何か?」ではなく、「良い方法を見いだせるのは誰か?」という問いかけにシフトしました。

 

私の務める学校や地域では、人と付き合うのが苦手な生徒、コミュニケーションが下手な生徒、平気で人の嫌なことを言う生徒などがたくさんいます。

「難しい子が増えてきている」

よく話を聞いていて耳にする言葉です。

 

そんな中、ソーシャルスキルトレーニングの本を読みました。

こんなトレーニングや、こんなゲームをするところがはじめると良いということがたくさん書いてあり、とても勉強になることが多いと思いました。

しかし、「すべての子」にとってではありません。

さらに、そもそも人と関わりたくないという子にとっては有効でしょうか?

これは教科学習と一緒で、例えば理科を学びたい!と思っている子にとって様々な題材、指導方法等は有効だと思いますが、そもそもの学ぶ意欲のない子にとっては有効でしょうか?

どちらにしても、答えは自明だと思います。

 

https://www.nier.go.jp/shido/centerhp/2306sien/2306sien3_2s.pdf#search=%27%E7%95%B0%E5%AD%A6%E5%B9%B4%E4%BA%A4%E6%B5%81%27

 

国立政策研究所が出している資料でこのようなものがあります。

 

異学年合同『学び合い』の良さを存分に実感できる資料だと思います。

そもそも人間がもっている「人と関わりたい」という気持ちをどこで育てるのか?

地域の希薄化が理由だとしたら、その希薄化によって起こっていることを改善する場所はどこなのか?

対処療法ではなく、根治療法を考えると答えは自明です。

 

私は中学校の時は小規模校から大規模校に進学したので、とてもコミュニケーションを取ることに苦労しました。

そのコンプレックスを無くしたいと強く思っていたため、中学校2年生の時に合唱の指揮者に立候補しました。

そこで人前に出る経験をたくさんさせてもらって、そのコミュニケーションを取ることが困難である自分の課題を改善することができました。

でも、その指揮者としての人前に出るような経験を学校の場でできるのは一体何人なのか?

指揮者は1クラスに2人です。だとすると、5クラスだったら、10人しかできません。

私はたまたまその10人の中に入ることができましたが、その10人に入ることができない他のコミュニケーションが苦手な人たちはどこで改善することができるでしょうか?

 

「削る」ことが重要だと改めて思います。

色んな教育書に載っている方法は魔法のように聞こえます。

でもすべての子にとっての魔法ではありません。

大部分の人が幸せになる魔法ならそれで良いのかもしれません。

でも私は、全員にこだわりたいです。

子どもたちを信じ、任せ、子どもたちの一生涯の幸せを示すことができるような信念を持ち続けることが重要なのだと思います。

 

本を再読して、もう一度自分の考えも「削る」ことをしていきたいと考えました。

はじめての異学年合同『学び合い』④

開始30分後。

 

生徒たちの「熱」はピークに達し、1年生3年生同士の交流もどんどん増えてきました。

無駄話はいっさい無し。(本当にないかどうかの判断は「見取り入門」の本に全て書いてあります。)

タイマーの音が鳴り、終了となりました。

終わった瞬間は「あ~」という声が続出。でも、3年生がすぐに自分の席に戻る姿を見て、それを真似して1年生も話し合いの途中でも席へ戻り、静かになりました。

「シー」という声も聞こえてきました。

もちろん私の声ではありません。

3年生のジェスチャーを真似して、1年生からもそのような声が起こっていました。

「けじめ」という言葉がありますが、まさに「けじめ」とは具体的にこういうものだと改めて実感した瞬間でもありました。「けじめ」も伝染します。

 

 

私は授業を2つの視点で見ていました。

1つ目は、全体を俯瞰して見る視点です。

集団が果たしてどんな状態なのか?流動的になっているか?どのように課題解決に向かっているか?生徒たちのひらめいた瞬間があったか、そして集団としての問題点はどこか? 

以上のようなことを教室の端から、ぼんやり見ています。

 

2つ目は、生徒たちと同じレベルの視点です。

生徒たちの輪に入り込み同じグランドレベルで会話の様子を聞いています。その時に発問や声かけを行うこともあります。

他にもう1つ大切にしている視点があるのですが、今回の授業ではこの2つを意識して授業に臨んでいました。

 

 

授業後の振り返りの時間。

良い点をいくつか話しました。

そしてその後の課題点では次のようなことを話しました。

「みんながつくっているグループって誰でも入りやすかったかな?例えば、先生の目からは、授業の課題は解けた、でも説明をしたいんだけど、中々入り込むことができずに様子を見ているような人たちもいた。グループで固まっているところ、そこにみんなは入りやすさを感じるかな?『説明させて!』って言いやすいと思う?どうかな?また、そんな自分が所属しているグループで、そんなことを気にしている人が誰か一人でもいたかな?」

という話をしました。

 

これは全体を俯瞰する視点ではなく、生徒たちと同じ視点に立たないと分からないのですが、実際に必死になって問題解決をしている時の生徒たちの視野はものすごく狭い状態になっています。

だから、必死になってグループで問題を解決している生徒たちにとっては有意義で、あっという間の時間になるのですが、それ以外の生徒たちにとっては長い時間にもなってしまいます。

そのことを生徒たちには話しました。

自分だけじゃなく全員達成、自分のいるグループだけじゃなく全員達成、あくまでも先生は全員が課題を達成することを求めているんだよ、ということを伝えました。

 

このようなことを授業の振り返りでは話しました。

そして授業は終了となりました。

 

 

以上のように4回に分けて、異学年合同『学び合い』の話を書かせてもらいましたが、やはり文章だけでは伝えきれない部分もあります。

これから授業を見ていただく機会がありましたら、その時は色々とアドバイスを頂きたいと思います。

 

通常1クラスの『学び合い』の授業とは違った生徒たちの一面が見れて、個人的には、これを定期的に行っていきたいと思いました。

というか、定期的に行わなければ意味がないと思いました。

 

次回からは生徒たちの感想を中心に書いていきたいと思います。

授業に関しては以上で終わります。

 

 

はじめての異学年合同『学び合い』③

生徒たちの活動がスタートしました。

 

開始早々、予習してきた3年生はすぐに答え合わせに向かいました。

そして丸付けをし、説明をするために、ホワイトボードを手に取る生徒も何人もいました。

 

最初は、1年生は1年生、3年生は3年生同士で取り組んでいました。課題が終わった3年生も同じ学年の人から説明し合うことをはじめました。

ちなみに問題の難易度はかなり高いです。求められる資質・能力を数学科の先生方と検討しながら、高度な問題解決能力を問われる課題設定にしました。

 

まずこの時点で思ったのは、異学年でも当たり前のことですが、自力解決時間は人それぞれ違うということです。

例えば、「最初は10分間自分で問題を解く時間を与えます」と言ったときに、もう課題ができた生徒にとってはどんな時間なのか?と考えてしまいます。また、低学力の生徒にとっては、逆に10分という時間は過酷な時間となってしまいます。もちろん、10分間が粘り強く考える時間となる人もいると思います。

 

でも、その「生徒」たちはクラスの本当に一人ひとりではありません。

 

『』で誤解される典型例の1つとして、「自力解決する力がつかないのではないか?」というものがありますが、そんなことは微塵のかけらもないと感じます。

 

きっと参観される方は「先輩が後輩に教える」姿を期待すると思いますが、実際は全く違います。

本にも書いてますが、「先輩たれ」を強いません。

そもそも教師としては「先輩が後輩に教えてほしい」ということを一切願っていません。もし一人も見捨てないために、そうする必要があるのであれば、自分から行動しなさい、という自然発生的な行動を考えています。

 

3年生の女子の生徒たちが様子を見ながら、1年生の女子の生徒たちに近づいていきました。まだ問題を解いているのを様子見つつ、3年生の同学年の課題が達成していない生徒たちの様子も見る・・・。そんな時間帯が続きました。

 

開始10分。

最初と光景は一変。3年生の一人が入り込んでいき、1年生と一緒に話す姿を見ると、その姿を見た周りの生徒たちも徐々に動き出し、説明をし合う姿が自然にありました。

これは自分にも当てはまるのですが、誰か突破口を開くと、次から次へとそれに続いていきます。

これは一度ビデオに撮影してから、後で見直すと分かるのですが、10分単位でくくると面白いほど、流動的になっています。

 

開始20分。

このくらいになると、男子の生徒同士でも関わり合いが出てきます。

3年生の男子が1年生に教え始めていました。

そして、3年生同士の『学び合い』が徐々に変わっていきます。

 

「ねえ大丈夫?」という声、「説明させて」「お願いします。」という声の掛け合いなど、が女子のグループでははじまりました。

また、1年生の女子でもキョロキョロ辺りを見渡す生徒が出てきました。

本時の課題は「3年生1人と1年生1人の合計2名に説明し、納得してもらえたらサインをもらう」というものでした。

当初は、「この場にいる自分以外の生徒2名に説明し、納得してもらえたらサインをもらう」という課題設定でしたが、指導案検討会の際に議論を重ね、あえて「3年生1人と1年生1人」という枠を設けることにしました。

3年生を探す1年生がこの時間帯になると出てきました。その中で「説明して良いですか?」「いいですよ!」などのやりとりがたくさん出ていました。

1年生から3年生に入り込む素晴らしい姿がたくさんありました。

 

また、これは1年生男子と3年男子の会話を聞いたものでしたが、課題を達成したはずの3年生男子が1年生男子に教えていました。

しかし、1年生男子が「そもそも、なぜ、角の二等分線は、角度を2等分するのですか?」という質問をしたところ、1年生の男子が納得するような説明をすることができず、その3年生は「先生の1年生の教科書を貸してもらっても良いですか?」ということを言ってきました。

そして、図形の対称性を根拠にして説明をし、その後輩から納得してもらえた姿がありました。

 

「後輩が先輩に教える」「先輩が後輩から教わる」と言いますが、一般的には先輩が一方的に教えている姿を想像するかもしれませんが、違います。

「後輩から気づかされる」それが学びにつながる、と言って方が良いのかもしれません。

後ほど感想用紙の文も載せますが、中にはこんな感想もありました。

 

「最初はすごく緊張していて、先輩に話しかけられるかすごく心配していたけどとても優しく、答えを教えるのではなく、アドバイスをくれた。~以下略~」

 

よく"学び合い"や"教え合い"というと、答えを"学び合う"、"教え合う"というイメージがあるかもしれませんが、全く違います。

 

この感想からも分かるように、アドバイスをする生徒が『学び合い』の考え方では出てきます。ただ、答えを教えても意味のないことを本人が分かっているのです。

 

そのアドバイスを送った生徒自身が、自分で悩み、誰かの一言、アドバイスで見方・考え方が変わったように、本当の「分かる」の意味を知っているからこそ、そのように今度はアドバイスを送る立場となることができるのだと思います。

 

そして、そのアドバイス、発問は本来は教師がするものです。でも、その発問を生徒たちが考えて、主体的に、対話的にできるのです。

その文化が拡がるのです。

もちろん、すぐにできるわけではありません。

4月からの積み重ねがそうさせたのだと思います。

 

ちなみに、「答えを教えるのではなく、アドバイス」をすることは、私が日々の授業で最も大切にしていることです。ただ、解答を黒板に写して答えを言うような授業は意味がありません。

4月から数学的な見方・考え方が育つと考えられる発問(アドバイス)を、私がグループに入り込んだ時に行ってきました。それを生徒たちが自然と真似をして、今では無意識にできるようになってきました。(これは生徒たちの会話を聞くと分かります。)

 

 

いよいよ授業は終盤です。

 

はじめての異学年合同『学び合い』②

そしていよいよ授業の本番。

 

「定常的に異学年合同『学び合い』を行う」ことを想定していたため、生徒たちにはいつも通り事前にプリントは配布していました。(※私の授業では、いつも次の日の授業の課題を配布するようにしています)

 

 

いつも以上に、3年生が予習をしてきました(強制は一切していません)。これは先輩だからかもしれませんが、後輩たちや全員達成のためにやってくる生徒がいました。

 

また、授業前は広めの教室を利用させてもらい、「自由に座って良いよ」という声をかけていました。すると、1年生と3年生は別々に分かれて座っていました。

 

チャイムが鳴り、授業がスタート。

異学年合同『学び合い』において、私が語ったことは以下の2つです。

 

①なぜ異学年でするのか?

「みんなには今、同級生は何人くらいいるか?」そして、「先生には、今の学校で何人いると思うか?」という部分からスタートしました。

 

今のクラスでの横のつながりを本当に大切にしてほしいと思う。でも、実際に社会に出てみると、自分と同じ年代の人がいないことに気づかされる。

 

社会人2年目の私がそうだったこと、そんな中で、上下関係なく、折り合いをつけて自らの課題を解決することが、これからの時代で生きていくためには必要であり、その力がなければ困る、ということを話しました。

 

実際、私は初任から今まで、たくさんの先生の力を借りてここまできている。「分からない」ということを正直に開示して、先輩の先生の力、同期の先生の力を借りていること、そして何よりも生徒たちの力を借りていることを伝えました。

 

そして、異学年でただ交流するのではなく、「一人も見捨てない」ことを究極的な目的として全員が本時の課題を「分かる」ことを目標としたいことを話しました。

 

②「分かる」とは

「分かる」ってどういうこと?っていう人もいると思いました。私の授業では「分かる」ということを、「人に説明することができる」ことを「分かる」というように定義しています。※Find!の福島哲也先生の動画を見てください。

 

だから、友達から説明を聞いて「あー分かった、ありがとう!」は分かったフリ。

また、「ねえねえ、ここ教えてよ!」と言われて「いやあ、俺説明下手だから別の人から聞いてよ」というのも分かったフリ。そもそも説明に自信がない、ということは内容をしっかり理解していないことの表れであることを伝えました。

そして、そんな人を一人もつくりたくない、ということも伝えました。

 

今日の授業の課題は、全員が「分かる」こと。

そのために、どうすればよいかを考えて授業に臨んでほしいということを伝えました。

 

③「一人も見捨てない」こと

最後に私の授業では、絶対に譲れないこと、先生も大切にしたいし、みんなにも大切にしてほしいことがあると話しました。

 

「一人も見捨てない」ということ。

 

この言葉を聞いて「そんなこと当たり前じゃん!」って考えている人もいると思う。でも、その当たり前のことを日々の学校生活や授業で考えて行っているか?「一人も見捨てない」ことを求め続けていますか?ということを話しました。

 

「一人も見捨てない」ためには、「入り込む力」と「巻き込む力」の2つの力が必要であること。

 

「入り込む力」には、「課題が分かった人が、困っている人たちの輪に入り込む力」と「課題が分からない人が、分かっている人たちから力を借りるために入り込む力」の2種類があること。

 

「巻き込む力」には、「課題が分かった人が、分かっていない人がいたときに、自分の力を貸してあげるために、その人を巻き込む力」と「課題が分からない人たちが、課題が分かっている人を自分たちのグループに巻き込む力」の2種類があることを話しました。

 

福島先生から「入り込む力」と「巻き込む力」の2つの力のことを、飛び込み授業の際に話をしてもらいました。

これは学術的な根拠はありませんが、「一人も見捨てない」を求めるには、具体的にどうしたら良いかを言い表したものだと思います。

それを私はさらに「入り込む力」にも2つ、「巻き込む力」にも2つの合計4種類の具体的な力が必要であると日々の授業で感じ、それを生徒たちに伝えています。

 

綺麗事ではなく、本気で思い続けているこの願いをみんなと共に達成したいということを話しました。

 

以上の3つを本気で語りました。

後は、授業中のツールや環境整備について話をして授業スタートとなりました。

ここまで10分。

長すぎました・・・。

はじめての異学年合同『学び合い』①

先日、初めての異学年合同『学び合い』をしました。

 

クラスは私が担任している3年生のクラスと1年生のクラスの2学年合同でした。

1年生のクラスは、私が担当してはいないクラスです。だから、『』は初めてのクラスでした。

 

まず最初に1年生との顔を合わせる時間がありました。(自習の時間を使わせてもらいました)

1年生の初めて『』をするクラスに語ったのは以下のことです。

 

①『学び合い』の考え方を伝える

普通の授業と『』、交流と『』の違いを話しました。全員が「分かる」ためには、人の輪に「入り込む力」と「巻き込む力」の2つの力が必要であることを話しました。

笑いも交えながら、でも、生徒たちは真剣に話を聞いてくれました。

「分からない」状態を数字ゲームで創り出し(※数学の授業とは全く関係ありません)、「分からない」時の気持ちを実体験してもらい、「分からない」という時の気持ちになることを考えてもらいました。

 

「分からない」ことは本当は嫌なこと。

でも、その「分からない」ことが続いてしまうと、「分からない」ことが当たり前になってしまって、どうでもよくなってしまうということ。

もうすでにそうなっている人はいないか?ということを言いました。

そして、私はそんな人を本当に一人も出したくない、でも先生一人の力にも限界がある、だから皆の力を貸してほしいということをはなしました。

 

 ②給食活動を例にして、改善点を伝える

また、普段の給食活動で、本当に全員でやっているかどうかということを話しました。

最近、給食活動を見学をしにいく機会があったのでした。

頑張っているのは一部分だけではないか?それで良しとはしていないか?

必死になって準備をしている人を脇目に、本を読んでいたり、廊下で友達としゃべっていたりしている人がいたけど、先生はそれを見たときに心が苦しくなったこと。「なんで、そうなの!?」と悔しかったこと。

 

また、必死に準備をしている人についても、なんで周りを巻き込まないのか?

準備を頑張っている人はきっとクラスのリーダー、本当に素晴らしいと思う。

でも、それって本当に「クラス」のため?「自分」のためではないか?ということ。

本当に「クラス」のことを思っているリーダーだったら、きっと準備を頑張っていないクラスメイトにも声をかけるはず。巻き込むことができるはず。そうじゃないか?ということ。

 

そんな話をしました。

 

以上の2点をまずは、『』がはじめての生徒たちに話をしました。

真剣な眼差しが印象に残っています。

 

そんな『学び合い』の考え方で、私が思ったこと、感じたことを素直に生徒たちに伝えました。2割以上の子に、確実に浸透している実感がありました。

 

 

 

 

すごかった・・・

今日、異学年合同の『学び合い』をしました。

学年は1年生と3年生でした。

授業をしていて本当に楽しかった・・・、知らないうちに終わっていた・・・。

という感じでした。

詳しくは後日書きますが、凄い可能性を感じた日でした。

 

どきどき

今週の水曜日。

ついに異学年合同『学び合い』の授業研をする日が近づいてきました。

数学科の先生のお力をお借りしながら、場所や授業するクラス、時間割などの検討も色んな先生のお力をお借りしながら、ここまできました。

 

「なぜ、異学年合同『』をするのか?」の問いの答え方には色んなアプローチがあるかと思います。

 

私は最初は本に書いてあるような内容をレポートにして、参観される先生方に配布しようと考えていました。文部科学省の資料などには、「なぜ」の部分が記述してあるからです。

 

でも、一番には私自身の「思い」を述べたいと思います。

 

この授業を異学年で行う意味は何か、色んな本を読んで学んできたことを、自分の言葉と「思い」で伝えたいと思います。