『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【独り言】〜本を何冊読みましたか?〜

「AL型授業=学び合えば良い」ということが違うことは各先生方がわかると思います。

 

でも、「学び合い」なのか『学び合い』なのかは非常に重要な視点だと思います。

それは教師の考え方に影響するものなので、その当人と話をしていれば、「あっ、この人の考え方は『』ではないな」とすぐわかってしまいます。

 

西川先生の昔本のことがブログで書かれています。(昔本といってすいません。)

 

 

でも、この本には膨大な学術の裏付けが書いています。

私自身、この本を読んで腑に落ちたことがたくさんありました。

これらの本のプロトコルを見ていると、「どれほどの時間を費やしたのだろうか」と気の遠くなるようなことを考えてしまいます。

 

本を何冊読みましたか?

 

本は、その人の考え方を創るものだと思います。

小説から学ぶ~一瞬の風になれ~

 

 

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ- (講談社文庫)

 
一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)

 
一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- (講談社文庫)

一瞬の風になれ 第二部 -ヨウイ- (講談社文庫)

 

 私が高校1年生の時に出版されたこの本を最近読んでいます。

陸上の小説です。

 

私は小説は読まないようにしているのですが(読むと止まらなくなるため)、学校の図書室で目にとまったこの本たちから「読めよ」と言われているみたいで、手にとってそのまま借りてしまいました。

読んだら止まらなくなって、他の教育書をアウトプットする時間が…みたいなことになるから「読まないで返そう」とか思っていましたが、やはりそれは無理なことで、火がついたようにページが止まらなくなっている最近です。

 

 

この本の主人公の神谷という高校生がいるのですが、その高校生はもともとサッカーをやっていたんです。

でも、サッカーから陸上に転向をします。

その理由としては、中学までの自分にサッカー選手としての「限界」を感じたからとなっています。

その神谷が第2巻のp27で、体育の授業の時に久しぶりにやったサッカーについての記述が書いてあります。

 

「久しぶりにボールを蹴って、楽しかった。もうただただ単純に楽しかった。なんで、こんな楽しいことをやめちまったんだろうって思ったけど、でも、たぶん、やめちまったから楽しいんだろうな。」

 

この記述を読んで、強く共感することがありました。

 

自分の競技でも、教師としての仕事でも、今の校務分掌でも、『学び合い』の実践者としても、数学教育の勉強者としても、続けていけば、必ず壁にぶつかると思います。

その壁を乗り越えることができるか、その壁を乗り越えずに自分の限界として認めるかはその人の自由だと思います。

 

結局は、自分次第だと思います。

 

でも、やめたらやめたで、きっと別の世界が待っていると思うし、その世界を知れば、以前やってたことを「何でやめたのだろう?」と思う瞬間だってあると思うからです。

 

「やめちまったから楽しいんだろうな。」って言葉は、当時は何とも思っていなかったから分かりませんでしたが、今はとても共感する言葉です…。

 

生徒たちの語ることの1つにしたいなあって考えてます。

あと今のクラスの生徒たちに担任としての立場で語ることも数ヶ月だな~と思うと、寂しく思いますね。

 

明日からの1週間、また頑張るぞ!

 

 

 

 

【独り言】~雪かきをしながら「徳」を考える~

いやあ、雪がすごいです。

 

雪がないだけで、時間が数時間かは余裕が持てます。

 

でも、雪かきしているときに思うのは、やっぱり「得」になる行動でしか中々動けないこと。

 

私はアパートに住んでいますが、「徳」で他のアパートの人の駐車場の雪かきまではできません。

 

なんてことを雪かきしながら思いました。

学年生徒会のアンケートについて

生徒会をお持ちの先生方がいましたら、ブログにコメントなど頂けたら嬉しいです。

学期末に学年の生徒総会を行う学校が多いとおもうのですが、その際に、学年の生徒たちにアンケートを取る学校が多いのかと思います。

その「アンケート」って何の意味があるのか?

それを今日は考えさせられました。

というか、そもそも学期末に生徒総会を行う意味って何なのでしょうか?

 

「毎年行っているから」になっていないか、というように私は思えてしょうが無いです。

 

何のためのアンケートなのか…。そんなことが学校にはたくさんあるということを改めて実感しました。

 

摩訶不思議。

最近の『学び合い』実践について〜授業と学級と〜

最近の『学び合い』の近況を書きたいと思います。

「授業」と「学級」の2つのことを書きたいと思いますので、よろしくお願いします。

「授業」については2つの視点で書きます。

 

 

①授業について〜課題の3つのレベル〜

最近の授業では、生徒たちからのアンケートで出た課題の出し方を採用して、定期テスト前は3〜5時間ほどフルの『学び合い』授業を行っていました。

私の実践の中での「フル」というのは、授業中に、生徒集団の活動を「『鳥の目』で見ることがほとんどである」という意味で使っています。

※『鳥の目』についてはこのサイトをみてください。https://matome.naver.jp/odai/2139764760721925201

 

生徒たちから出た要望としては、「課題の難易度を3つに分けてほしい」ということです。

具体的には、「基礎編」「標準編」「発展編(入試編)」に分けてほしいということです。

 

「基礎編」は、最低限できてほしい問題のこと。

クラスで最低点を50点以上は全員が取るということを目標にしているので、それを最低限クリアできるような課題を選出しています。

 

「標準編」は、70点以上は取りたい生徒が確実に解いてほしい問題のこと。

「数学的な技能」を評価するための問題を選出しています。

 

「「発展編(入試編)」」は、90点以上は取りたい生徒や、もう数学は得意であるので、その先の探求的な問題をどんどん行いたいという生徒に向けた問題を選出しています。

 

以上をB41枚のプリントにそろえてあります。

生徒たちからの要望通りになったかどうかはわかりませんが、恐らくなったから抜群の結果が出たのだと思います。

 

新学習指導要領についての各種研修会でも言われていると思いますが、「単元を通してどんな力が身についてほしいか」の視点を私は課題づくりのときに最近は特に意識するようになりました。

単元の終わりの方では、自分のレベルに応じた学習を個人個人ができるようにすることを心がけています。

極端な例ですが、例えば中1の比例・反比例の単元で「単元を通して、比例・反比例を利用して問題解決を図る生徒」もいれば、「単元を通して、負の数まで拡張した比例・反比例のグラフをかくことができるようになるところまでしか到達できない生徒」もいます。

生徒たちは多種多様なのです。

 

 

②授業について〜「集団解決」と「個別解決」〜

最近になって「集団解決する時間」と「個別解決する時間」を分けて考えるようにしています。

 

初任のときに『』を実践スタートさせたときは、どうしても共通の課題について、いつでもいかなる時でも「全員が課題を達成する」ということを常に求めていたと思います。

 

知識・技能を「習得」する際は非常に良いのですが、「活用」する問題を行う際に、

「いや、そもそも「活用」以前に「習得」してないし」

とか、「探求」する問題を行う際に、

「いや、そもそもそんなレベルではないし」

という生徒が6割はいて、どうしようと悩んでいた時もありました。

 

学習指導要領に定められている最低限度の「知識・技能」や、「思考力、判断力、表現力」を身につける問題を「集団解決する時間」を行うことは重要です。

ですが、その後に「個別解決する時間」があるというイメージなのです。

単元計画表を作成する際に、「確かめよう」や「章のまとめ問題」の時間も入れると思いますが、その際は「個別解決する時間」であるべきなのです。

その「個別解決する時間」に集団がどれほど成熟しているかどうかが重要だと私は考えています。

そして、先ほども書いてように「個別解決する時間」は「フル」で任せる『学び合い』の授業をとことん行っています。

 

「集団解決」と「個別解決」の視点ができてから、授業が今年は大きく変わりました。

 

③学級の係を削る

先日、学活の時間に「係活動の見直し」の時間を設定しました。学級の代表委員が進行を務め、私は見守っています。

その中で、「電気の点灯・消灯係」と帰る前の「整理・整頓係」について生徒たちは着目をしました。

 

そこで起こった会話は、「この係、要らなくね?」といものです。

生徒たちの言い分は以下のようなものです。

「電気の点灯は、教室にはじめに入った人がつければ良いわけだし、消灯は最後の人が気づいて消せば良いだけの話だから必要ない」

「整理・整頓係は、帰る前に自分の席やロッカーを整理・整頓して帰るのは当たり前のことだから、その係をそもそも作っていたことがおかしい」

ということでした。

 

純粋に、「やっと、中学校1年生になってきた」と思いました。

 

川西先生の本のp98に「邪魔なものを「削る」!」に書いてあることが、すごくよく理解できた瞬間でもあったなと思います。

 

この1冊で、始められる! 深められる! まいにち! 『学び合い』

この1冊で、始められる! 深められる! まいにち! 『学び合い』

 

 

今度お会いしたときに、ぜひお話したいです。

 

 

以上のような最近の『学び合い』実践でした。

明らかに、2年前と比べても自信をもって実践できているなと思っています。

 

 

今年もあとわずか。

今は定期テストが終わり、生徒会担当や研究主任としての公務が忙しさを増しているところです。

また、有り難い話で、ある所から原稿の依頼も頂いていて、今日から取り掛かりはじめました。

自分の使える時間配分を上手くして残りの12月も乗り切っていきたいものです。

読了〜スマホが学力を破壊する?〜

 

スマホが学力を破壊する (集英社新書)

スマホが学力を破壊する (集英社新書)

 

今思えば本当に忙しかった10月。

やっと時間的余裕が出てきた11月。たくさんの本を読み、アウトプットを色んなところでしているところです。

 

教育関係者の皆さん全員に、この本は読んでほしいと思いました。

 

私自身、大学時代に明らかにスマホが手放せないようになっていたこともあるので、この本の恐ろしさがわかります。

この本を読む前の私は、「何となくスマホは悪いもの」という認識しかありませんでした。

ですが、この本を読んで、明確に「スマホは学力を低下させるもの」ということを実感することができたました。

 

特に印象的だったのが、「脳のマルチタスク」について。

これって社会に出からもよくしてしまうことではないですか?

人間の脳は容量はものすごい大きいのですが、処理するものが複数になったとたん、処理速度は明らかに低下する話は色んなところから聞きます。

その話がつながりました。

 

ただ、1つ言えば、統計的なデータとして「学力を破壊する」と川島教授は述べてはいますが、そのスマホを行うことによって「なぜ?学力を破壊するのか?」まで書かれていないことは残念でした。

ですが、今はその研究を進めているということでしたので、これからも川島教授に注目していきたいと思いました。

 

この本については、要約をして、同僚の先生方にも出せるように頑張ろうと思います。

 

最後に川島教授の俳句を紹介して終わりにします。

 

スマートフォン  賢くなるのは  機械だけ

 

自分自身も気をつけます。

学力の向上のために必要なこと

 

 よく「学力の向上」という言葉がありますが、本当に多くの人にだまされたと思ってこの本を精読してほしいと思います。

最近、また「文脈依存性」「領域固有性」にまつわる経験をしました。

どんな問題なのかを生徒たちが把握することは卑怯。

こう思う先生方もいると思いますが、そんな先生のためにこの本があると思います。

 

教員採用試験の勉強をどうやって行いましたか?

大多数の先生方は、その県の過去問を購入して問題を解いた経験がおありだと思います。それは、その県でどのような問題が出題されていたのかを見るためですよね。

つまり、その県で必要とされる教師になるための「学力」を知るために、過去問を購入すると思うのです。(少なくとも私はそうでした)

 

この「学力」について理解をすると、あとはどのようにしてその「学力」を向上させるのかは、色々あると思います。

その中で、『』の考え方を活かすと、大切なのは集団づくりであることに気づきます。

 

「学力」とは何かをはっきりさせ、そしてそれに向けた集団づくりを行えば、いとも簡単に「学力は向上」します。

 

ということを、まだ認めたくない自分もいるのですが、嫌でも認めてしまうほどの結果も出ますし、そういった自分自身の体験もあります。

 

あとは、その「学力の向上」に向けた理解を教職員間ですることだと思います。

 

西川先生の言葉ではありませんが、「学力ってくだらない」。