『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

自分の課題点(単元計画と評価)

自分の課題だと思うところ二点を挙げると、単元計画と評価であると思っています。

まず「単元計画」ですが、生徒に自信をもって公表するまでに至っていない状況です。ALの視点での授業を行う際に大事な評価を考えても、これができていないのは自分でも課題であると思うのですが、学校のカリキュラム状、中々思い通りに進まない点があります。

次に「評価」ですが、ここはやはりまだ3年目です。何を評価するのか?そして、どのように評価するのか?なぜそれを評価するのか?その部分がしっかりと生徒たちに伝わっているとは思えません。

この「評価」についても生徒たち全員に公表はするのですが、『』集団をリードする2割の子たちに伝わる必要があります。

 

4月から『』を実践し続ける上でも、この「評価」がかなり重要になります。

「評価」を怠ると、必ず集団の停滞につながるからです。

 

私の場合ですが、「願い」のみでは中々継続させるのが難しいです。ですから「テクニック」を用いたりもします。

ですが、あくまでも自分の「願い」を生徒たちに上手く伝わるようにするための「テクニック」であるつもりでいます。

 

実はまだ『』の考え方における授業での、各学年の1年間を過ごしたことはありません。ですから、今年の1年間はまだゴールの見えない1年間です。

地に足をつけて、一歩ずつ実践していきたいものです。

 

話は変わって、今、合唱コンクールに向けた練習期間ですが、まだ一度もクラスに注意したことはありません。これは4月からの積み重ねなのかなと思います。

 

練習にも口出ししたいけど出せない…、何というか生徒たちがあまりにも頑張るものだから、ずっとモヤモヤした気持ちが続いています。

その点を考えるとプレイヤーって良いですよね。

マネージャーとは立場が違います。

 

ということで話がずれましたが、「単元計画」と「評価」をしっかりと実施できる教師でありたいと思います。

 

第10回越後『学び合い』の会で純粋に思ったこと

『』の考え方に基づいて行う授業や学級経営、あらゆる活動は、それ自体を行う上でも自身を成長させることにつながると感じました。

 

そして、何よりも西川研究室のゼミ生の皆さんの集団の「得」になる行動に感動しました。

 

私も山形の『学び合い』の会を主催したことがあるので分かりますが、このような会の主催は非常に大変です。参加者の名簿をまとめたり、懇親会の人数を確認したりなど、準備にとても時間がかかります。そして、はじまる前のドキドキ感、不安感は何とも言えないものがあります。

ましてや今回は分科会の発表者の送迎やお気遣いなど、本当に心身共にご苦労なさられたと思います。

 

そのゼミ生の皆さんの姿を見て純粋に思ったことは、集団の「得」になる行動を多くの学生さんたちがしていたことです。

 

もちろん全てが完璧ではなかった部分もあったのではないかと思います。でも、当日の動きや連携など、私の目からは「本当に良いチームだな…。」と見えました。

 

『学び合い』の考え方で授業を行うことについてですが、「考え方」ですので、自分自身の行動もそれ自体になっていくが自然だと思っています。

 

28人の大所帯なので、学生さんたち全員でカラオケに行くような仲の良さとは思いませんし、全員でゲームをするような仲の良さとは思いませんし、全員で旅行に行くようなこともないのかなと思います(間違っていたらすいません)。

 

それでも「越後『学び合い』の会を成功させる」というミッションを背負って折り合いをつけて、解決にむけていく集団だと純粋に思いました。

 

そして、このようなミッションを背負って解決していくことは、これから現場に出て非常に大切な力です。その大事な力を身につけている方々が非常に多い、素晴らしいゼミ生の皆さんだったと今振り返っても思います。

少なくとも私が学部4年生の時はここまでできていなかったと思います。

 

そして、集団が成熟していけば「学力」の向上に結びつくのと同じで、きっとより良い研究・実践をこの集団で積み上げていくのだな、とも思います。

 

分科会で発表させて頂いたことも本当に自分にとって良い経験となりました。

でも、それ以上に心が芯からあったかくなる集団に出会えたことが一番でした。

(ゴタゴタやいざこざがあるのかもしれないのですが、私の目からはそう見えました。)

 

本当の本当にありがとうございました。

 

【独り言】本当に主体的ですか?

今、中学校は合唱シーズンの時期であると思います。

ブログを見て頂いている方に質問なのですが、貴重な昼休みに合唱練習をするのはいかかが思いますか?

意見が欲しいです…。

 

僕は合唱が好きです。

生徒たちの主体性がドンドン高まる重要な特別活動の1つだと思います。でも、「良かれ」と思ってするその練習は本当に生徒たちにとって「良かれ」なのでしょうか?

一人ひとりは多様であること

 

 この本を読み直しています。

p12に

「2:一人一人は多様「良い教材」「良い指導法」「良い発問」とは」

というタイトルのページがあります。

 

私の教師としての基本のOSが『』だとすると、あらゆる教育書を読む度に、この「一人ひとりは多様」という文が脳に浮かびます。

 

オールマイティの方法が無い、まさに、『学び合い』はそれを前提にしている「考え方」なのです。

 

とありますが、まさに現場はそうなんですよね…。

 

ですから究極的には「全体共有」って本当に難しいことだと思っています。

実は先日の研修会で、次世代教育推進センターの方が講師としていらっしゃっていて、私がグループ討議でそのことを発言したら、「同じことを○○県の校長先生も言っていた」ということをおっしゃっていました。

 

「全体共有」で本当に生徒全員に「共有」されているのか?

 

教師が安心したいためだけの時間に終始していないか?

 

「全体共有」の究極は、1対1でお互いに議論し合える関係性をクラス全員が結ぶことだと思います。

「お前本当に分かってんの?」「その説明は少し違うかも?」などの関係性をクラス全員が結べる集団になったとき、「全体共有」と言えるのではないかと思います。

 

 

でも日々の授業で「全体共有」する場面ってあると思います。

道は2つあると思います。

1つは、自分自身が全体共有をして分からない子がいると分かっていてもそれを「しょうがない」と思いながらも、次に進む決断をすること。

もう1つは、何とかして全体共有を本気でしようとする集団づくりに徹すること。

2つ目の方は、それでも共有できない子が出てくると思います。

でも、「人格の完成」という視点から見ても、クラス集団としての単位で見ても、どちらがマシかは自明だと思います。

 

ようは集団づくりということだと思います。

 

教科の勉強に重点を置きすぎると、よく忘れることでもあります。

私はそんな集団づくりの方に力を入れるようにしたいと強く思います。

 

【独り言】~自分のクラスではないクラスで~

学級担任制がなくなれば良いと思うことがあります。

最近の悩みで大きなことが1つあります。

それは自分の担当しているクラスとそうでないクラスとでの明らかな差があることです。(教科担任としてです)

もちろん学力が伸びてない分けでもないですし、集団がだれているわけでもありません。

でも、去年以上の『』集団としての差が出ているなと感じます。

こうなると、合同『』が良いのだと思いますが、だとするとカリキュラム・マネジメントって重要です。

 

自分の担任しているクラスの『』が良いのは当たり前です。

担任していないクラスでの『』の授業を同じレベルまで引き上げるために必要なことを模索中です。

 

 

「折り合い」をつけるために…

 

自律心を育む! 生徒が変わる 中学生のソーシャルスキル指導法 (ナツメ社教育書BOOKS)

自律心を育む! 生徒が変わる 中学生のソーシャルスキル指導法 (ナツメ社教育書BOOKS)

 

 よく生徒集団への語りとして、

「クラス全員と仲良くなる必要は全くない。というかそんなことは無理。無理だってことは大人が一番よく知っている…。でも、クラス全員と『折り合い』をつける必要はある。」

そんなことを4月から語ってきました。

これは、身をもって私自身が実感していることなので、語りにも熱がこもるのですが、去年の1年間、『学び合い』を実践し続けることが精一杯で、集団を発展させることに力を注ぐことはあまりできていなかったのではないか?と思っています。

 

何かヒントになるものはないか?ということで、上の本に出会いました。

 

もちろん、「SSTを実践したい!」と生徒集団が思わなければ、意味がありません。しかし、今の2学期の頃合いを見て、そう思う生徒がたくさん出てきている時期になったと思います。

 

『学び合い』を実践すると、1学期の時点でクラスの対立や課題を生徒集団が気づきます。そして、それを何とかしようともがきます。2学期では、その対立や課題の克服を本気で目指そうとします。その一助になればと思います。

 

 

そして、私自身気づいたのですが、「折り合い」をつけることを生徒集団に求め続けてきたのですが、そもそも「折り合い」をつけることって生徒集団は理解しているのか疑問に思いました。もちろん、どういうことか「分かる」子もいます。

でも、私はこの本を読み進めるにつれ、「自分が『折り合い』をつけることの意味を理解していなかったのでは?」と思うようになりました。

 

「折り合い」って何だろう?

 

「折り合いをつける」って究極的には何なのか?

相手との妥協点を見つけるために必要なスキルは何なのか?

 

そんなことを、また一から勉強しようと思います。