『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【独り言】自由

教師でも土日は欲しいです。

部活や学級行事で奪わないでください。

大阪に行きたいです…。

「一人も見捨てない」の勘違い

『』をやっていて一番怖いのは勘違いです。

どんな勘違いかというと、「一人も見捨てない」の勘違いです。

 

まず1つは「一人も見捨てない」を方法として考えてしまう間違いがあると思います。

私もまだ覚えていますが、この『』の授業をスタートしたときの授業は今までの想像を超えてきます。

 

本当に子どもたちの精一杯頑張る姿に感動します。

 

だから、全員達成できたときは本当に感動します。

 

だからこそ、「この授業を続けていれば、生徒たちがきっと全員分かるまで頑張ってくれるだろう」という慢心が生まれてしまいます。

そして、この慢心から『』集団は崩れていきます。

大阪のフォーラムでK先生が、『』の授業は、クラスという船を子どもたちと立て直しながら進むのと似ているというお話をしてくれました。

 

だから、この『』の授業が子どもたちの学力を向上する都合の良い授業方法か何かと誤解していたらそれは注意が必要です。

 

 

もう1つは授業観(教師観)です。

ある『』もどきのようなものを行っている先生が、子どもたちのアンケートから、「先生に教えてと言っても、『あっちに聞きにいきなさい』と言われて教えてくれない」という記述があったようでした。

私はこの話を聞いたときに、「しっかりと本を読まないと失敗することの危険性」を強く実感しました。

 

これはけっこう学校でも誤解されることだと思うのですが、『』の本には、「教師は子どもたちに勉強を決して教えるべきではない」とは書いていないのです。

授業観(教師観)としては、「教授は子どもたちに任せるべき」と書いてあるのであって、断固として教えることを否定しているわけではありません。

だから、『』を「教師が教えるのではなく、子どもたちだけで勉強を教え合う授業」という方法で捉えているとしたらそれは危険です。

 

と書いている私も昨年同じようなことが1回ありました。

そのときに大切だと思ったのは、「いつでも聞きに来なさい」というスタンスです。

『』をはじめて初期の頃は、まだ先生からの授業に抜け出せなくて、先生に聞きたいという生徒もいると思います。

だから、そういう生徒がいたら、来る者は拒まず迎えるようにしています。

ただし、そのときに周りの子どもたちを巻き込むことも大切にしています。

そうして、課題を解決して、分からない問題を他者と折り合いをつけて解決できたとき、その子どもの中には、何とも言えない達成感が生まれると思います。

そして、徐々に「先生の説明を聞かなくても、クラスメイトと共に解決することの方が充実しているし、自分にとって得である」ことを実感して、『』の良さを感得していくのだと思います。

 

というか、質問した相手に、「あっちに聞きに行きなさい」と言われたら、教師である僕たちも嫌じゃありませんか?

僕がこのように言われたら、その先生のことを嫌いになると思います。

 

 

『』は考え方です。

では、その考え方はどのような場面で伝わるのかと言うと、そのような子どもたちと対峙する場面、語りの場面など、様々な場面で伝わると思います。

 

クラスメイトを見捨てない・裏切らない集団になるためにも、「一人も見捨てない」を勘違いしないことを意識して生活していきたいものです。

 

自分の思考の整理も含めて記述しました。

教師と子どもは同じ

 

 この本はもう4,5回は読んでいるバイブルです。

『学び合い』が上手くいかなかったり、もう一度考え方を勉強し直したいときに読んでいます。

 

この本のp102に「4|教師と子どもは同じ」というタイトルがあります。

この箇所を読んで、僕の中学校時代の担任の先生の考え方が『』に限りなく近いことを確信しました。

 

このタイトルの内容は「子どもたちは有能である」と「子どもたちは凄い!」は同じようで違うということを記述しています。

今まで、この部分を読んでいたときは、正直読み飛ばしていた箇所だったと思うのですが、また勉強させてもらいました。

 

ここには以下のような記述があります。

 

「『メール拝見しました。クラスが良く育っている様子、それを可能としている場を○○さんが確保している様子、よくよく分かります。しかし、一つだけ、書きたいと思います。それは、「なぜか知らないけど、私もそうですが、大人は一度ダメなヤツと見てしまうとその考えはなかなか変えられません。でも子どもは違う気がします。」という言葉に引っかかりました。この言葉は、子どもの可能性を信じる、「良い」言葉のように響きます。しかし、私は、「怖い」言葉と紙一重のようにも思えます。つまり、子どもと自分とは違うという解釈の仕方をしてしまえば、「子どもだからできない」という解釈に直ぐに繋がってしまいます。私は、そこで踏ん張って「子どもと自分は同じだ」と考えるようにします。(中略)私は、「子どもは特別に素晴らしい存在だ!」という言葉は、「子どもは特別に愚かな存在だ!」とは違うように見えて、「子どもと自分とは違う」という次元では全く同じだと思います。」

 

僕はこの箇所を今まで気にも止めませんでしたが、今はものすごい引っかかりました。

なぜなら、体育祭や合唱コンクールを終えて、「子どもたちは素晴らしい存在だ!!!!!」と考えていたからです。

でも、それは本当は危険な考え方で、『』の子ども観である「教師と子どもは同じ」という次元では見ていないということが明らかになりました。

 

そして、僕の中学校時代の担任の先生は言葉は違いますが、「一人間として、見る」として、教師も子どもも同じ目線、同じ次元で見ていました。

だから、改めて今回のことを気づかせてもらえるきっかけになりました。

 

書きたくて書きました。

『学び合い』って本当に奥が深いです…。

 

 

「一人も見捨てない」の原点

先日の金曜日に中学校時代に2年、3年と担任して頂いた先生とご一緒にお酒を飲む機会がありました。

いわゆる恩師の先生です。

 

 僕は『学び合い』に出会って、本を読んでいるとき、批判的に読み進めていても、なぜか納得する部分が多かった人です。

というか、「そうそうそう思っていた」ということが非常に多かったです。

 

そのように思える人もいれば、そのように思えない人もいるはずだとは思うのですが、私は前者でした。

そこで、考えたのが、「なぜ」ということです。

なぜ私はそもそも『』の考え方に近いものをもっていたのか?

大学の時から、色んな教育方法を見たときに、「生徒」という言葉にずっと引っかかっていた学生だったのですが、その「原点」はどこにあるのか?

すごい疑問でした。

 

それがやっと分かったのです。

 

中学校時代の先生に聞きました。

「先生が今もですけど、軸にしているものって何ですか?

 

すると、

「まずは、教師と生徒という関係を抜きにして、一人間として向き合っていく」

ということ、そして、

「誰も見捨てない、裏切らない」

ということをおっしゃっていました。

 

僕は「やっぱり…。」という想いと、ほっとした気持ちでいっぱいになりました。

 

僕の原点はここにあったんだと思いました。

中学校時代に受けてきた教育の考え方を、私は具体的には覚えていません。

でも、その恩師である先生の考え方というのはしっかりと伝わっていました。

だから、私が『』を継続できるのだと思います。

 

 

ここは方法などを一切抜きにして考えさせられる部分です。

方法論にとどまってしまうと、限界があると思います。

いくらこの指導方法が良いということがあっても、それを扱う教師の人間性、そして生徒たちの状態などで大きく変わってきます。

西川先生の本でも、良い指導方法はやる気のある生徒にとっては効果はあるけど、そうではない生徒にとっては何にもならない、と記述してあります。

実際、そうです。だって、僕もそうだったというように思います。

 

 

熱いトークで盛り上がりました。

体育祭や合唱コンクールにどのようにぶつかっているのか。

取り組みをする上で、生徒たちに語ることは何なのか。ということです。

 

全てが全て『』の考え方や、僕の今の考え方に一致しているわけではありません。

でも、限りなく近く、それこそ、余計なものをそぎ落とした原点となる考え方を私の恩師の先生はしていました。

それは方法論レベルで言うことができないことだと思いました。

 

結論、今回僕が思ったことは2つです。

1つ目は、「生徒たちを一人間として見て、本気で語る」

2つ目は、「見捨てない、裏切らない」

です。

この2つを僕の考え方の中でも特に大切にして、これからの実践に活かしていきたいと思いました。

 

今回のことで、改めて教育の力ってあるんだと身をもって実感しました。

 

疲労

今週は臨時の時間割も入り、授業数がいつもの週より多く、疲労がものすごいです。

でも、それ以上に生徒たちも定期試験の前でかなり疲れていると思います。

それにしても、『』の授業をしていて思うのですが、生徒たちはよくそんなに頑張れるなと思ってしまいます。

私が授業を受ける立場だとすると、本当に疲れ切ってしまうと思います。

家で勉強するよりもあっという間に時間が過ぎる感覚のようです。

でも、毎時間全員が本気ではありません。

ダメなときもあります。

でも、それを誰かがカバーして助け合う集団に成長してきていると思います。

 

でも、私が生徒だったら疲れます。

本当に毎時間、その日の調子なども大きく影響すると思います。

 

疲労を見せず、最後の1日をしっかりと過ごしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

初任の1学期に一番悩んでいたこと

恥ずかしいですが、初任の1学期に一番悩んでいたことを書きます。

 

それは一斉授業において、「プリントで授業するか」「ノートで授業するか」です。

 

これを見て、本当にくだらないと思う人もいると思います。

でも、私はこれを本気で悩んでいました。

大学の時に勉強してきた数学教育が、現場の実践に全然生かせないときでも、毎日の授業はあります。

それを何とか乗り切ろうと日々悩んでいました。

その末に、たどり着いた悩みが「プリント」か「ノート」か、どちらで授業をするかです。

今考えると、本当にバカみたいですが、当時の私には深刻な悩みでした。

「プリントだと分かりやすいという生徒がいるし、…」

「ノートの方が良いという生徒がいるし、…」

こんなことを考えていました。

 

馬鹿です。

 

それから1年半。

 

少しは成長したと思えます…。

【独り言】~何事もコツコツと~

「継続は力なり」

と言いますが、最近そのことの大切さを実感しています。

いかなることがあっても、何かを続けることというのは本当に難しいことです。

でも、その小さな積み重ねが大きな財産になるんだろうなと思います。

頭の中で、しっかりと考えてアウトプットをする。

その場が、このブログと位置づけているので、しっかりとアウトプットできるように、毎日、昨日の自分を越えることのできるように努力を続けていきたいと思います。