『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

独り言(後輩の野球の試合の応援)

2つ下の後輩の応援に行ってきました。

リーグ戦の最終戦でした。

4年生にとっては引退の試合です。

 

私はちょうど2年前に経験していました。

 

これが中々泣けます。

今まで小学校から本格的に練習に励み、プレーしてきた自分とお別れをするんです。

私も2年前に、自分自身に別れを告げました。

泣きました。

それから、指導者の立場としては野球には関わっていますが、プレイヤーとしては関わっていません。

 

 

今、「部活動」問題が大きくなっています。

もちろん「部活動」が負担になることはたくさんあります。

でも、私を大きく成長させてくれた「部活動」を前面から批判することもできません。

だからこそ、仕組みを変えてほしいと思います・・・。

 

 

 

原点にかえった気分です。

明日から、また頑張ります。

 

中だるみは自分自身から

私は『学び合い』の授業で、集団が中だるみをしている時は常に自分を振り返るようにしています。

生徒は教師の鏡である。

この言葉は本当だと思っています。

私が元気がなければ、生徒たちも元気がないように思えますし、私のやる気があるときは生徒たちもやる気のあるように思えます。

 

最近、集団のだれている様子を見て私自身の悪いところを振り返ってみました。

①全員達成を求める態度が弱くなっていること

②点数にこだわっていないこと

③課題以外の準備がしっかりとできていないこと

この3点があると思います。

 

①が起こった原因は、生徒集団がよく学んでいるから起こりました。

このミスは昨年もありましたが、やはりまだ甘いです。

よく学んでいる姿を見て、それで満足している自分がいたのだと思います。

『』だと、今までよく学んでいなかった生徒が一生懸命学ぶようになります。

だから、それを見て「大丈夫だ!!!!!」と勘違いしてしまうのです。

これになっているなーと最近思いました。

でも、この間違いの発見に気づくのが早くなった点では成長したと思います。

でも、まだまだ甘ちゃんです。

 

②は、あるクラスで上位の2割の生徒が流動的でなくなったことから気づきました。

先日もこの「点数にこだわる」ことについての記事を書きましたが、やはり大切です。

一昨日、友人から「おしゃべりをする生徒がいて、何度本の通りの言葉を語っても改善されない」という内容を受けました。

これは私も昨年度経験したことでしたし、現在経験していたことでもありました。

このテストの点数にこだわることが抜けてしまうと、上位の2割の生徒が集団に目を向けなくなってしまいます。

すると、教師としてはあせります。

だって、今まで率先して教えていた生徒たちが自分のことしかしなくなるのですから。

つまり、クラス集団に目をむけさせる必要があります。

そのためにテストの点数を分布として出す必要があるのだと思います。

分布ではなくとも、生徒集団に可視化することが大切だと思っています。

これが分かっていながら、なぜテストを設定しないか?

「忙しい」を言い訳にしたのですが、それだと逃げだと思うのであえて言いませんが、現状「忙しい」です。

主担当がいろいろ重なると経験の差が出てしまいますね・・・。

2年目から早く脱出したいです「。

 

③これは『』の考え方からはずれてしまい、手法になるのかもしれませんが、例えばアンケートを取って現状のクラスのみんなの思っていることを集約したりすることも大切だと思いますし、また、なぜ『』の授業をしているのかを語りだけでは伝えきれないことをプリントにして配布することもあると思います。

昨年度もそうでしたが、進路に目を向ける中学生は非常に多いのです。

ですから、なぜ『』なのか?みんなが向かう未来はどうなっているのか?の意識付けをすることが重要だと思います。

そして、それを私が担任しているクラスではできますが、それ以外のクラスではプリント配布しかないのです。

だとすると、教師集団も一人例外なく、今後生徒たちが迎える社会について語る必要があります。

そして、教師はその未来をしらなければ困ります。

ということで、教師集団の『学び合い』であるカリキュラム・マネジメントが必要になってくるのだと思います。

 

そしてそのカリキュラム・マネジメントを実現するには、『』しかないというのが、西川先生の考えていることです。

そして、このことを批判的に私なりに考えましたが、でも「あらゆる教育方法や理論」の中で、マシであることは明確だと思います。

 

ということで、私は『』を実践していると思います。

 

 

 

昨年度のことですが、初任の頃って色々と守られていた部分があったな~と思います。

時間もありました。

「忙しい」を言い訳にせず、私自身も思考をアクティブに頑張っていきます。

中だるみの時期から脱出します。

 

生徒だけではない!!!!!

 

headlines.yahoo.co.jp

最近、働き方改革が大きな話題となっています。

 

内田先生の記事は論理的で、部活動問題を本当に冷静に分析していて、本当に勉強になります。

 

部活動が好きになる理由分かります。

だって、日々のクラスでは言うことが聞かない生徒が部活だけは頑張るっていうケースもあるからです。

そういう集団を統率する教師という存在が居心地の良い感じもします。

でも、私は最近は「教師集団も一人も見捨てません」ということを考えるようになりました。

部活が好きな先生もいれば、そうでない先生もいます。

そして、部活動は学校教育内ではありますが、学校の教育過程外の活動です。

 

部活指導を精一杯やれる教師もいますが、そうでない教師もいます。

いわゆる部活指導におけるカリスマ教師です。

でも、そのような先生がいるということは、もし顧問が代わったときに、残された部員や後を引き継ぐ先生にかかる負担が大きいものになってしまうと思います。

『』の考え方からすると、やっぱり部活動の問題は改善することが大切だと思います。

 

 

私の地区では野球人口が減ってきて、部の存続も危うい学校も出てきました。

実際、私が中学校のときと比べると、どの学校も部の存続に危機を抱いている状態です。

 

一方で、大規模校は人数的に余裕のある学校もあります。

一概に全てに言えるわけではありませんが、人数が多ければ、その中に有能な部員もいますし、やっぱり強いです。

だとすると、部の存続の危うい部活はどうなるのでしょうか?

 

ある学校の廃部規定には、2年連続で中体連の大会に参加できなければ廃部の学校もあるようです。

それで廃部にして良いのかと思います。

 

大会に出れなくったって良いと思います。

 

野球が好きなら良いと思います。

9人いなくても、楽しく野球をすることはできます。

大会に出ることが全てではないと思います。

 

 

今、この鶴岡市の野球の人口が減ってきている問題が、「野球」を心から楽しむことの根本的な部分にたどり着いてほしいなと思います。

それが野球を好きな生徒たちを「一人も見捨てない」ことだと思います。

 

 

 

小学校のときに友達とやった三角ベースが本当に楽しかった・・・。

独り言:『学び合い』集団になるために・・・

大阪のフォーラム以来、『』の授業のことはもちろんなのですが、それ以上に私自身を客観的に見るようになったと思います。

私が職員室でどのような雰囲気をつくっているか。

そして、私自身が他者と折り合いをつけているかどうか。

そこを大切にしています。

 

教師としても、1社会人としても、チームで課題を解決するには、何よりもこの連携が大切だと思います。

 

クラス集団でいう2割に私もなれるように努力を続けていきたいと思います。

理解させることの限界

一昨日の出来事です。

中2のクラスでの授業でのことです。

 

生徒たちから一次関数の変域のあるグラフの先生なりの考え方を教えてほしいということがありました。

クラスの全員が先生の説明を聞いてみたいという要望があったので、久しぶりに黒板に解説を書き、発問をするなどの従来型授業をしました。

僕なりに準備をして精一杯やりました。

その結果、クラスの30人中、12人が分かりました。

 

これが多分、限界だと思います。

 

その12人は、すごいスッキリした様子を見せていました。

「ああ、そういうことか!」とか「うん、うん。」という反応があり、満足している生徒もいました。

 

でも、それ以外はみんな、それぞれの場所でつまづいてます。

そして、2人くらいは、「何んじゃそりゃ?」の状態です。

 

その後はいつも通りの時間になったわけですが、変域のあるグラフを理解した子がまだ理解していない子数名に、私が板書をした黒板を用いて説明していました。

 

それも、聞く限りは私と同じような説明でした。それなのに、「あっ、分かった!!!!!」などの会話が起こっていたのです・・・。

 

このとき、「人の相性」ということの価値観を私は認める瞬間となりました。

今まで、「子ども同士の説明の方が分かる」ということは納得していたのですが、「説明を聞く人との相性」については、私自身、理解していませんでした。

 

改めて、生徒たちから学ばせてもらった瞬間です。

 

久しぶりの授業の主役が私の時間。

楽しかったです。

でも、それと同時に限界も感じました。

 

 

数学教育のある有名な研究者に、「ファン・ヒーレ」という方がいます。

数学的思考の特質を明確に捉えた数学学習の理論の1つに、幾何学習における「学習水準論」と呼ばれるものがあります。

簡単に言うと、「理解レベルが低位の者には、高位のレベルのことは理解できない」ということです。

だから、この数学教育での理論にも当てはまります。

 

『』を通して、大学で勉強してきたことがつながった瞬間でもありました。

 

 

生徒たちに感謝です。

テストの重要性

テストの重要性を感じています。

1クラス、だれている感覚のあるクラスがあります。

私自身の語りが弱いこと、そして、私自身がだれているなど、原因は色々あると思いますが、一番は集団に目が行かなくなっているのかと考えています。

そして、集団に目がいかない時の一番の解決策はテストの点数です。

やはり「テストを行う」ということは、集団の状態を表す1つの指標となることなので、本当に大切なことだと思います。

そして、テストを行わないと上位の2割の子が、集団に目を向けなくなってしまいます。

これは考えてみると当たり前のことで、例えば野球部も練習をした後は、いきなり公式戦に出るのではなく、練習試合を行います。

その練習試合の設定があるから、今のチームの状態が分かるのです。

 

だから、これは『』の授業にも同じことが言えて、今私は、練習試合の設定が不足しているのだと思います。

今週3年生は確認テストという形のテストを行います。

そして、2年生は新人戦もあるので、休み明けということになります。

 

 

個人的にはテストって嫌です。

だって、生徒たちが必死に勉強する時間をなるべく確保してあげたいからです。

でも、最近になって改めてテストの重要性を意識しはじめました。

 

福島哲也先生も2週間に1度は確認テストを行っているとおっしゃっておりました。

その意味が分かります。

 

ということで、テストは行う必要がありますね・・・。

次の定期テストが終わったら、確認テストを定期的に行うということを設けてみたいと思いました。

 

『学び合い』はやっぱり奥が本当に深いです。

生徒たちに任せる、ということのためにはやることが山ほどあります。

良い集団になるために

2学期になって私が気をつけていることを書きます。

大きくは2つです。

①1人も見捨てないと私が強く思うこと。

②1人も見捨てないことを集団に強く語ること。

この2点です。

 

まず①については、当たり前なのですが、中々この気持ちを強く思い続けるのは難しいことだと思います。

毎日の部活動で、「何か今日の練習はよくないな~」と感じるときと似ています。

この気持ちを強く持ち続けていくことは、必ず生徒に伝わります。

逆に、この気持ちがないこともすぐに伝わると思っています。

今年度は年間を通してこの気持ちを持ち続けることができるかどうかが課題です。

そして、あらゆる行事や取り組みで『』の考え方を活かすことができるかどうかも個人的な大きな挑戦です。

まだまだ、勉強することはたくさんあります。

 

次に②についてです。

去年に引き続き、本当に良いクラスを担任させてもらっています。

そして、教科担任しているクラスの子達も良い子ばっかりです。

そんなクラスを担当していると、愛着がものすごくわいてきます。

でも、そのような愛着がわいてきたクラスだからこそ、結果には対して厳しく述べる必要があります。

「今日は全員達成できなかった・・・。だとしたら、次の授業までに何が君たちにはできるのか?それを考えてきてほしい。」

この言葉を綺麗事ではなく、どれだけ本気で言えるかが重要だと思っています。

でも・・・、これが本当に難しいと最近感じています。

 

私はアクティブ・ラーニングの定義の「倫理的」という言葉が好きです。

授業の終わりに「人としてどうだったか?大人集団としてどうだったのか?」を問える授業にしていきたいです。