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鶴岡の『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

評価がないと・・・

中学校の教師になり、もう11ヶ月が経ちました。
その中で、課題がもう一つ見えました。
この時期、最後の定期テストも終わり、生徒は最後の入試に即した実力テストに向けた勉強をするわけですが、最近中学校2年の確率や中学校1年の資料の活用の分野の授業に、勢いがなくなっていることを感じます。
原因を考えてみました。
すると、「1つは評価がないこと」だということがわかりました。
この時期以降、年度末まで中学校は定期テストがないのです。
最後の定期テストが終わり、生徒もどうしても気がぬける時期だと気付いたのです。そして、私自身も気が抜けていると感じております。

私は毎日の授業でできる限り生徒の課題の解決する時間を確保したいと考えています。
だから、『学び合い』をはじめて最初の時期は小テストを交えていましたが、今はしておりません。振り返りのカードのみで行なっています。それで、今までは成立してきました。

でも、今の授業は、目標があって評価がないのです。
だから、生徒からしたら「いくら実力テストのためと言われても確率以外の内容も出るし、まあとりあえず確率勉強しておこう」という感じだと思うのです。
だから、最後の授業の1つ前で確認テストを行うことを生徒に伝えました。そして、最後の授業で最後の集団の評価をしたいと思います。

いやあ・・・、気が抜けません。

きっと、『学び合い』だから気づくのだと思います。
一斉指導では、必ず気付きません。
ということに、気付きました。

人間関係

『学び合い』をすると、クラスの人間関係が本当によく分かります。

どのように変容したのかなども。

恐らく、生徒全員が『学び合い』に賛成ではないと思うのです。なぜなら、自分から他の人に関わりに行くことが苦手な人もいるからです。

でも、そのような生徒をいつ大人にするかは考える必要があると思います。

 

「誰とも関わらずに生きていく」ことは不可能です。

でも、「苦手な人とも折り合いをつけて、関わりながら生きていく」ことはできます。

 

生徒と共に私もたくさんの人と"折り合い"をつけて、成長できればと思います。

【最近思うこと】

社会人1年目が終わろうとしています。

早い早い。

こんな感じで何年も過ぎていくんだろうなぁと思います。

約40年間の教師人生。

不祥事ゼロ、交通事故ゼロ、当たり前のことを当たり前のように行い、生活していきたいです。

【嬉しいこと】本当に以前まではあり得ないことです。

今日、本当に嬉しいことがありました。

 

担任をしているクラス、2学期から『学び合い』をしているクラスでのことです。

今日の6時間目は、実力テストの問題を各クラスごとに自分の好きな教科から取り組む時間でした。

その時間、私は学年の用事で抜ける必要がありました。

だから、生徒には自習という形を指示しました。

しかし、

「先生、アクティブ・ラーニングではダメですか?」「『学び合い』してダメですか?」という声が複数の生徒からありました。

そこで、私がいない状況でやるときに起こりうること(むだ話など)や、その時に注意し合うことができるか、ということを生徒と約束したうえで許可しました。

特別支援の先生がクラスの様子を見に回っていたときに、「しっかり数学の時間の時のようにやっていたよ」という言葉を頂きました。

 

「すごい・・・。」

 

この一言に尽きます。

ここまで成長したんだな、という感じです。もう、止まりません。

私が「難しい問題だから、この問題は私が解説するね。」と言っても、多分「みんなでやります」と返ってくるのかなと思います。(本当に憶測ですが・・・)

 

最後のテストで、素晴らしい成果を出しました。

点数の分布が一山で、右よりの分布を示しました。その結果も生徒と共有しています。

ただ、生徒にはテストの点数はあくまでも目標に過ぎないと言っています。

目的は、みんなが幸せになること。

その中で大切なのは、一人も見捨てない集団になること。

他者と折り合いをつけて、自らの課題を解決する姿勢を大切にすること。

一人でやってもいい。複数の人たちでやってもいい。

誰かに教えたから素晴らしい。誰かから聞いたから素晴らしい。

とかではなく、全員達成を求め続けることが素晴らしいのだ、という話をしました。

 

学年の修了まで、あとわずかです。

最後の日には、どういう別れをするか、今から考えています。

 

以前と違うこと

以前の自分と違うことがあります。

 

今日、3学期も終わりに近づき、次の学年に向けて、担任を交代(ローテーション)して朝の会、給食、終わりの会をそれぞれのクラスの生徒とする計画があることを生徒に伝えました。

次の学期に向けて生徒にとっては、どんな先生でもいつも通り生活できるか、そして、教師側にとっては各クラスの雰囲気を見て、どのように感じるかや気になる点などを指摘し合う良い機会として学年として捉えています。

私も寂しいですが、まだ知らない生徒も学年にたくさんいるので半分楽しみではあります。

 

放課後、学年主任の先生から、

「先生(私)が担任なのもあとわずかなのに・・・。なんで担任交代するの・・・?」

と私のクラスの生徒たちが本当に寂しがっていたということを教えて頂きました。

 

『学び合い』を知る前の自分だったら、「いやぁうれしい!そんなこと言ってくれるなんて・・・。よし、残り少ない期間だけど、あいつらのために本気でもっと頑張ってやっていこう!」と考えると思います。その考えを否定するわけではありません。

 

でも今は違うんです。

 

今の考え方はこうです。

「そう言ってくれることは確かにうれしい。でも、私が担任ではなく、別の先生でも折り合いをつけて生活をしなきゃダメだ。私はみんなの"担任"を一生するわけではない。だから、私がいなくても一人も見捨てず皆でまとまって、協力して学校生活をおくることが何よりも重要なことなんだ。」

 

まず、初任で何もかもわからず学校生活をおくり、掲示物も学級通信も自分なりで、他の先生方に比べたら本当に劣る身であるのに、そんなうれしいことを言ってくれる生徒たちに感謝です。ありがとう。

1学期は生徒に好かれる教師になりたかった。生徒のことが本当に好きな教師でした。

 

でも今は、生徒を大人にすることが本当に好きです。

だから、考え方は前とは異なります。

 

以前と違うことは、本当にこの部分だと思います。

 

 

油断

テスト明けの授業が一番難しい。

テスト前、生徒達はいつも以上に勉強に対して本気になる。その姿はテストのためである以上に、クラスのために本気を出してがんばる。

私も熱が入る。

でも、テストが終わると気が抜ける。特に、テスト明けの一週間が一番難しい・・・。

一日も欠かさず気が入るのもどうかと思うが、これは『学び合い』をはじめてから私の大きな課題となっていることの1つである。

きっと、生徒以上に私が気が抜けているんだと思う。

生徒は正直です。教師の姿を簡単に見透かすんだと思います。

「『学び合い』は心でする授業」と捉えていますが、まさにその通りです。

 

油断せず、生徒たちの10年後、20年後を見通して頑張ります。

『学び合い』の可能性(部活動)

『学び合い』は応用が効きます。

それも異学年で効くと思っています。(というか、これも学術的に証明されていることなんだよなぁと思います。上越への研修に行ってから、本当に今まで以上に自信をもって『学び合い』を実践していると思います・・・。仲間ができるって本当に良いですね。)

 

以前、部活動のミーティング時や学習会の時に『学び合い』を取り入れたりしていることは書いてきました。

 

今回は、1つ1つのプレーにおけるケースの確認です。ソフトボールは、1つ打球が出るごとにほとんどのポジションが動きます。だから、1回1回起こりうるプレーの確認をしなければなりません。

鶴岡は雪でグランドがまだ使えません。だから、実際に春に外に出てから実践形式の練習を行う時に、ケースごとのプレーができないと守備が崩壊します。だから、座学をして勉強するのです。

今日の課題は、「昨年の県大会のDVDを視聴し、1つ打球が出るごとにビデオを止め、ホワイトボードで起こりうるケースや選手の動きを確認し全員が理解する」です。

”一人も見捨てず”にです。

授業で持っている生徒もいるので、その生徒は精力的に動きますが、それ以外の生徒はなかなか「席を自由に」とは言っても最初からは動けません。時間が経ってから、「動いていいんだ」となって行動します。(このあたりがカリキュラム・マネジメントの必要性を感じるところです。学校として『学び合い』に取り組んでいたら、すぐ取り組めるんだろうなと思います。)

「分からない」「この場合はどうなるの?」「サードじゃなく、ファーストにバントの打球がいったらどう動くのかな?」と生徒同士で話しながら、入念に確認していました。

 

これを一斉授業に見立てます。

中学のソフトボールなので、プレーするほとんどが初心者です。(野球経験の子もいますが、ソフトは初めてです。)

だから、1つ1つのプレーを勉強することは本当に基本の大切な部分で、中学数学でいう「正負の数」を勉強するのと同じくらい重要なのです。

それを私の口から説明しても恐らく全員は分からないのです。

私は小学4年から大学4年までずっと野球をしてきました。だから、そのプレーや連携が当たり前なのです。当たり前のまましゃべると思います。

エキスパート・ノービス研究の背景も考えると、恐らく私がビデオを一回一回止めて、プレーの解説をしたら全く分からないと思います。

だから、生徒たちに任せます。そして、生徒たちは有能なのです。

私は『学び合い』の授業中もそうなのですが、生徒からの「質問」は受け付けています。「先生、~~~と考えたのですが、どうですか?」はOKです。

でも、「先生、この問題教えてください」はOUTです。

それは同じように部活動の方に応用が効きます。というか、これが部活なのかな?と思います。

正直、これが一番効率の良いプレーの座学方法か分かりません。(誰か学術的に証明されているものがあったら教えてください。)

ですが、生徒たちは「主体的・協働的」に取り組んでいるように見えます。(本当の部分は生徒にしか分かりませんが・・・)

あっという間の部活動時間でした。

同学年での「横」のつながりはもちろんのこと、異学年での「縦」のつながりもできる非常に良い経験、非常に良い練習だったと思います。

 

私の部活動での学校観は『学び合い』の学校観と同じです。

常に、集団を見ています。

教科ではテストの点数にとことんこだわっていますが、部活動では勝利にこだわります。(『学び合い』を勉強してから、そう捉えるようになりました。)

 

来年度の総体が楽しみです・・・。