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鶴岡の『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

給食活動の『学び合い』

来年度から、給食活動での『学び合い』を実施する計画を立てています。

今年度の反省の1つとして、汎用的に『学び合い』で様々な活動をできなかったことがあります。 

授業ではできていたことが、他の活動ではできないのはおかしな話でした。

まだ、「考え方」ではなく、「方法」だったのです。

でも、給食活動や清掃活動、学校行事でも『学び合い』の「考え方」で進めることができると信じています。

だから、その準備をしています。

給食活動での「課題」。

清掃活動での「課題」。

そして、それぞれの活動をどのように評価していくか。

このことを考えています。

後出しジャンケンはできないので、万全の準備をしていきたいと思います。

そして、途中の課題は生徒集団と解決していきたいと思います。

選抜高校野球

高校球児に戻りたいということが時々あります。

テレビを見ていると、もう一度がむしゃらに野球をしたい気持ちになるのです。

ひたむきに純粋に野球に臨みたい気持ちが出てくるのです。

まだ、部活では指導者(マネージャー)になりきれていないなと感じています。

 

甲子園に出てくるようなチームの球児を見ていると、きっと文化ができているのだろうと思います。

当たり前のように声を出し、当たり前のようにあいさつをし、当たり前のように礼儀がしっかりとしているのだと思います。

 

そういう文化を教室内にも創りたいと思います。

 

『学び合い』の課題作成を平日にしていますが、過信せず、自信をもって取り組みたいと思います。

本当に準備って大切だと思います。先を見通す力が本当に重要であることを1年間で実感しました。

 

あたらしい仲間と早く会いたいですが、その気持ちは抑えていきます。

準備準備準備の最近でした。

【理科だからできる本当の「言語活動」】を読んで③

p165には、教師として本当に大切な言葉書いてあると思っています。

 

「人格の完成」とは、いろいろな人と折り合いを付けて力を貸してもらえる能力

 

この言葉は、本当に何かで悩んだときや、立ち返るときに見直していかなければならない言葉だと思います。

「人格の完成」をどのように捉えるかは人それぞれ違います。

でも、公理的に数学が体系化されていったのと同じように、この大前提が何かということで、求められる教育の内容が変わってくると思います。

私は、「人格の完成とは何か?」と問われたときには、「いろいろな人と折り合いを付けて力を貸してもらえる能力です。」と答えられるようになりたいと思っています。

「「人格の完成」を「いろいろな人と折り合いを付けて力を貸してもらえる能力」とすると、◎◎は~~~と捉えることができます。」

と様々な場面で応用することもできます。

というよりは、そのことを軸として、たくさんの物事にチャレンジしていきたいと思っています。

 

理科だからできる本当の「言語活動」

理科だからできる本当の「言語活動」

 

 教科は数学ですが、この本から学んだことはとても多いです。

そして、西川先生の本の使っている言葉の1つ1つは、膨大な学術データのもとで裏付けられていることを頭に入れながら、勉強していきたいと思います。

【理科だからできる本当の「言語活動」】を読んで②

「学びが成立するか否かを決定するのは、教え手ではなく、学び手なんですね。」という言葉がありました。

それは子ども集団どころか教師集団においても言えることだと思う。

 

アクティブ・ラーニングについてもそうだと思います。

新しい指導要領では、この言葉は使われなくなりましたが、本質は変わりません。

だとしたときに、本気でこのことを勉強する教師は全員でしょうか。

いや、私はそうは思いません。

どんなに素晴らしい算数・数学の授業をする教師がいたとしても、学び手が「学びたい」と思わなければ、その授業の内容は何の意味も持たない。

大部分は分かる授業はできるかもしれない。

でも、全員ではないのです。

 

1学期に、数学の本質を狙ったすごい授業をしようと準備して行ったこともありました。

結果は、惨敗。

寝る生徒が何人かいました。

結局、上位の子は納得しても大部分の生徒は納得しませんでした。

でも、それは今思えば当たり前であることが分かります。

 

どんな子でも学ぼうとする意欲のある集団にすることはできます。

それは日々の教師としての語りが大切になってくるのだと思います。

 

というか、今年度、何度このような経験を私自身がしたかを考えさせられます。

初任で、何もわからない時に助けてくれたのは、周囲の上司の先生方でした。

そして、私が聞こうとする細かいことは全て現場に出ないと分からないことです。

 

もし、大学で「出勤簿の押し方」を講義で教えてくれたとしても、今の自分に必要ないと感じたら寝ます。

いくら大学の先生が「出勤簿を押すことは大切である」ことを熱心に教えようとしても絶対に必要感を感じなければ聞こうとしません。

 

そして、それは教師集団も同じことだと思います。

 

以前から実感していることですが、『学び合い』は日常生活で実は私たちが感じたり、経験していることをより明らかにして記述していることだと思うのです。

だから、いくら批判的に読んでいるとしても納得したり、腑に落ちる部分が多いのだと思います。

 

数学の教師ですが、汎用的に様々な本から学べることは多いと思います。

そして、それが『学び合い』の1つの特徴なのだと思います。

【理科だからできる本当の「言語活動」】を読んで①

何回かに分けてこれから勉強して自分が感じたことをブログにまとめていきたいと思います。

第1章

「強制ケース」「無関心ケース」「安易な合意ケース」とありますが、これはまさしくその通りだし、本当に納得するものでした。

これは数学の話し合い活動でも同じだと思います。

大学の時は、グループにしたときの生徒同士の会話で、素晴らしい考えが共有されることを想定して、そのための"問い"をどうするかの研究・勉強をしていたときもありました。経験交換ケースのようなグループでの言語活動を想定してです。

確かに発問は大事だと思います(その発問で生徒全員が同じ問いをもつかは別ですが・・・)、でもそんな会話がなされるのはどんなクラスなのだろうかと考えてしまいます。

 

自己モニターは、私自身思い当たる節があります。

 

大学時代、教育実習での自分の授業を自分でビデオカメラで撮り、そして授業改善に励んでいました。

正直言って、嫌な時間でした。

だって、自分の発問や自分の話したことをもう一度聞いて、「ああ~、もっとこうすればよかった。」と後悔する時間なのです。

そして、その後悔を基盤にして授業改善に挑むのです。本当に嫌な時間でした。

でも、自分の授業のため、そして何よりも自分の授業を聞いてくれる生徒たちのためと思い、歯を食いしばりやっていました。

 

それが自己モニターでした。

 

これを生徒たちの会話に目を向けるのですから、効果が上がるに決まってます。

教師もしていることだったのです。

だから、身をもって納得しました。

 

「自分たちの会話を聞かせるだけで、子どもたちは自分たちがいかに変な会話をしていたかに気付きます。」

 

とありますが、私だってそうです。

 

「私自身の授業動画を見るだけで、私は自分がいかに変な授業をしていたかに気付きます。」

 

となります。多分、納得する人が多いのではないでしょうか?

【疲れた】遠征帰り

遠征に行ってきました。

日、月と疲れました。

明日からの学校も頑張ります。

指導要録と教室の整備・整理整頓!!!

【うらやましい・・・】中学時代の友達は今・・・

中学時代の友達が今どこで何をしているかが実はよく分かりません。

私が中学校の教師を目指そうと思ったのは、担任の先生に憧れたからです。

その恩師の先生には感謝の気持ちでいっぱいで、感謝の言葉を何で表せばよいか分からないくらいです。それくらい、お世話になりました。

でも、今、私は中学時代の友達とつながっていないのです。

 

弟について少し話します。

弟は先生には恵まれないできました。(失礼な言い方ですが、弟が言ってます。)

でも、弟は中学時代もそこそこ楽しく過ごしてきたと話は聞いてます。

私とは違う中学生活だったと思います。

でも、友達には恵まれているようです。

中学時代の友達とは、今でも連絡を取り合っているのです。

今の私は中学時代の友達とは、連絡は取り合っていません。

あんなに楽しかったのに・・・。

 

この違いがなぜなのか、正直分からないできました。

というより、気にしないようにしてきました。

でも、私の心の中ではうらやましい気持ちでいっぱいでした。

 

今では分かります。

なぜこのようなことが起きているかが。

 

『学び合い』の本で記述されていることの当事者の一人が私だと実感しています。(全部が当てはまるわけではありませんが・・・)

 

西川先生の言う、10年後、20年後の意味がわかります・・・。

あと1年したら、教師を目指そうとした中学3年生の私から10年経ちます。

 

20年後したら、どんな気持ちなのか気になります。

 

とりあえず、弟がうらやましい・・・。