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鶴岡の『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

本質と向き合う

『学び合い』をして今葛藤していることがあります。

それは「本質を教えない」ということです。

この『学び合い』のスタンスで考えれば、「一人残らずクラス全員に教えることができますか?それをねらった授業をすれば、ちんぷんかんぷんな時間を過ごす子どもが生まれるのではないでしょうか?」となります。

様々な思い、様々な立場があると思いますが、数学の教科の本質を教えることを大切にして大学時代、研究してきた身としては強い葛藤にとらわれています。

数学教育として、教科の本質を教える授業も時には必要なのだとも思います。それを私は貫きたいという立場もあります。

しかし、「一人も見捨てず」という言葉はとても強い意味を持っています。綺麗事ではなく・・・。

昨日の研修でこのような考えを聞きました。

道徳教育の基礎と実際という講座で、「自由を選択すると、制限される」という言葉・考え方が印象に残っています。法やルールは、我々が自由を選択するたびに生まれてきたものである、ということでした。

1学期の辛い、悩んだ時期も踏まえて今、『学び合い』を実践しています。別に今までの授業でもよかったと思います。

型がないアクティブ・ラーニングの中で、自由に方法を選択できる中で、私は『学び合い』を選びました。すると、「教科の本質を教える」は必要ないという制限を受けます。

この部分で今、葛藤しています。

『学び合い』で確かに生徒の学力はついていると思います。(2学期で、まだ授業中誰も寝た人はいません。)

ここで最近疑問に思うのが、何を「学力」というのかということです。

このことも踏まえて、山形大学の私の恩師である市川啓先生の研究室で学び合いやアクティブ・ラーニングの議論をしてきます。

すべて今私が思っていること、感じていること、悩み、などを述べてきます。

良い議論ができることを願っています。

来週の土曜日、久しぶりの「ゼミ」です。