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鶴岡の『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【理科だからできる本当の「言語活動」】を読んで①

何回かに分けてこれから勉強して自分が感じたことをブログにまとめていきたいと思います。

第1章

「強制ケース」「無関心ケース」「安易な合意ケース」とありますが、これはまさしくその通りだし、本当に納得するものでした。

これは数学の話し合い活動でも同じだと思います。

大学の時は、グループにしたときの生徒同士の会話で、素晴らしい考えが共有されることを想定して、そのための"問い"をどうするかの研究・勉強をしていたときもありました。経験交換ケースのようなグループでの言語活動を想定してです。

確かに発問は大事だと思います(その発問で生徒全員が同じ問いをもつかは別ですが・・・)、でもそんな会話がなされるのはどんなクラスなのだろうかと考えてしまいます。

 

自己モニターは、私自身思い当たる節があります。

 

大学時代、教育実習での自分の授業を自分でビデオカメラで撮り、そして授業改善に励んでいました。

正直言って、嫌な時間でした。

だって、自分の発問や自分の話したことをもう一度聞いて、「ああ~、もっとこうすればよかった。」と後悔する時間なのです。

そして、その後悔を基盤にして授業改善に挑むのです。本当に嫌な時間でした。

でも、自分の授業のため、そして何よりも自分の授業を聞いてくれる生徒たちのためと思い、歯を食いしばりやっていました。

 

それが自己モニターでした。

 

これを生徒たちの会話に目を向けるのですから、効果が上がるに決まってます。

教師もしていることだったのです。

だから、身をもって納得しました。

 

「自分たちの会話を聞かせるだけで、子どもたちは自分たちがいかに変な会話をしていたかに気付きます。」

 

とありますが、私だってそうです。

 

「私自身の授業動画を見るだけで、私は自分がいかに変な授業をしていたかに気付きます。」

 

となります。多分、納得する人が多いのではないでしょうか?