『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【理科だからできる本当の「言語活動」】を読んで②

「学びが成立するか否かを決定するのは、教え手ではなく、学び手なんですね。」という言葉がありました。

それは子ども集団どころか教師集団においても言えることだと思う。

 

アクティブ・ラーニングについてもそうだと思います。

新しい指導要領では、この言葉は使われなくなりましたが、本質は変わりません。

だとしたときに、本気でこのことを勉強する教師は全員でしょうか。

いや、私はそうは思いません。

どんなに素晴らしい算数・数学の授業をする教師がいたとしても、学び手が「学びたい」と思わなければ、その授業の内容は何の意味も持たない。

大部分は分かる授業はできるかもしれない。

でも、全員ではないのです。

 

1学期に、数学の本質を狙ったすごい授業をしようと準備して行ったこともありました。

結果は、惨敗。

寝る生徒が何人かいました。

結局、上位の子は納得しても大部分の生徒は納得しませんでした。

でも、それは今思えば当たり前であることが分かります。

 

どんな子でも学ぼうとする意欲のある集団にすることはできます。

それは日々の教師としての語りが大切になってくるのだと思います。

 

というか、今年度、何度このような経験を私自身がしたかを考えさせられます。

初任で、何もわからない時に助けてくれたのは、周囲の上司の先生方でした。

そして、私が聞こうとする細かいことは全て現場に出ないと分からないことです。

 

もし、大学で「出勤簿の押し方」を講義で教えてくれたとしても、今の自分に必要ないと感じたら寝ます。

いくら大学の先生が「出勤簿を押すことは大切である」ことを熱心に教えようとしても絶対に必要感を感じなければ聞こうとしません。

 

そして、それは教師集団も同じことだと思います。

 

以前から実感していることですが、『学び合い』は日常生活で実は私たちが感じたり、経験していることをより明らかにして記述していることだと思うのです。

だから、いくら批判的に読んでいるとしても納得したり、腑に落ちる部分が多いのだと思います。

 

数学の教師ですが、汎用的に様々な本から学べることは多いと思います。

そして、それが『学び合い』の1つの特徴なのだと思います。