[大事なこと]『学び合い』実践者へ
私は、私のクラスである西川ゼミの学生と一定の距離を保っています。ゼミ生は可愛い。だっこして、高いたかいしたいほど。四十代を超える現職院生もです。が、距離を保っています。理由は3つです。
第一に、本務でゼミ生のためにやれることを十分やっていると自負しているからです。
第二に、私が近すぎるとゼミ生同士の関係を阻害するからです。
第三に、私の本当の本務は家族にあると思っているからです。 『学び合い』の実践者であれば、これが分かると信じています。そして、部活に燃えないと思います。だって、教科学習で十分に子どもの人生に関わっています。それも、全ての子どもに対して。そして、部活にのめり込めば、子どもは自分に近づきすぎるから。結果として、家族との時間を確保できないから。
西川先生のブログに記述されていたことです。
私は、昨年の1学期まで(採用されてからの1学期まで)この西川先生の考え方と真逆でした。
「生徒のために尽くして何が悪い?それこそが素晴らしい教師ではないか?」
このように考えていたと思います。
そのように私も教えられてきました。
そして、その素晴らしい職業である教師になりたいと思っていたのです。
私は中学時代、部活動では、地区で活躍し、県大会まで出場することもあるような選手でした。
将来は、その指導者になりたいという夢もあったので、中学校教師という夢を抱いたのです。
でも、今、全く部活動に対して燃えません。
今年から、自分の専門の顧問になりました。
でも、全くやる気が出ないのです。
むしろ、今は授業に最大の勢力を注いでいます。
そして、授業以外にもキャリア教育(『学歴の経済学』などを参考にしながらプリント作成など)に力を注いでいます。
その理由は、そのような社会であることを知ってしまったからです。
アクティブ・ラーニングの背景を知ってしまったからです。
私の大学時代お世話になった教授に、大学の学部編成の件などについて聞いてみると、「入試などは具体はまだはっきりと出てない状態だが、確実に動いている」とのことでした。今年の2月に聞いたことです。
私は部活動に力を注ぐ教師の気持ちが今は分かりません。(これからもだと思いますが・・・)
体育の教師であれば、何となく分かる気はします。でも、それ以外の教師についてはどうなのかと考えてしまいます。
私は、自分の時間を犠牲にして、生徒たちの幸せを考える教師が素晴らしいと思っていました。
でも、今は違います。
自分が幸せにならないで、生徒たちに本当の幸せを指し示すことができるのでしょうか?
西川先生は結婚をしなさい、と本気で言う方でした。
そのことの意味が、上越にお邪魔したときはよく分かりませんでしたが、今ははっきりと分かります。(冗談で言っているのではないのだとしみじみ実感します。)
でも、本当に、幸せって難しいことだと思います。