『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

『学び合い』はやっぱり考え方

『学び合い』はやっぱり考え方です。

このことを何度も何度も自分自身の中で反芻して実践をしています。

 

昨年度と比較して成長したことを書きます。

 

例えば、最近の例で言えば、2年生のあるクラスでホワイトボードを使って上手く説明する人もいるのですが、どうしても遊んでしまう人が出てきてしまうのです。

以前までの自分なら、「おい!!!それはダメだろ!?」と個人に注意していたと思います。「おい!!!おしゃべりするなよ!?」とか。

でも、今は個人には注意しなくなりました。

授業後に集団に対して、「今日はこんなことがあった。これについてみんなはどう思う?」と語ることを大切にしています。

正直、遊んでいる姿を注意せずにそのまま見ているのは辛いです。

でも、ホワイトボードをもったらお絵描きして遊んでしまうというのが、その子の本質なのです。

きっと、私が注意しても一時的に問題解決にはなります。

でも、長期的な目線でみたときには、本質的な解決にはなっていないのです。

この部分は去年の『学び合い』の実践と比較しても、本当に上手く語ることができるようになったと思っています。

これ以外にも、クラスの問題点が出てきたら、その問題点を集団に向けて語るようにしています。クラスのリーダーにふることもあります。(集団をリードするのは2割の生徒であるから・・・)

 

以前、「語り」のことを、「生徒指導」と言われたことがあります。

「生徒指導」とは違うのです。

「生徒指導」は教師が生徒に対して行う指導です。

でも、「語り」は集団に向けて疑問を投げかけることなのです。

このままでいいのか?こんな集団で良いのか?そのことを「良し」として良いのか?

集団に対して厳しく投げかけることなのです。

だから、この点については本を読んでほしいなあと思って聞いていました。

私自身もいろんな保護者や先生、生徒と折り合いをつけて付き合っていると思っています。無理に強いてはいません。

 

担任しているクラスでは、毎週テキスト点検と家庭学習の点検を行っています。

それで、クラス全員が一人も見捨てずにテキストも家庭学習ノートも提出することを求めています。

ある日、テキストを忘れた生徒がいました。

でもその時、私はその生徒を怒りませんでした。

怒っても一時的な解決にしかならないからです。

 

「今日の点検で、◎◎がテキストを忘れてきてしまった。みんなはそれについてどう思う?みんなは◎◎がテキストを忘れてしまったことについてどう思う?先生はクラスのみんなに責任があると思う。みんなが何とか呼びかけをし合って注意することはできなかったのだろうか?クラスのLINEは作ってあるでしょう?それで明日のテキストの提出について、呼びかけできなかったのだろうか?明日もテキストと家庭学習ノートの点検がある。それで全員がパーフェクトで提出できることを目指そう。全員がテキストと家庭学習ノートをしっかり提出することは難しいことだ。でも、それを求め続けることはできるはずだ。みんなならできると思う。だから、求め続けるからね・・・。」

 

このように帰りの会で語っています。

 

やっぱり生徒たちは有能です。変わるのです。姿勢が。

 

きっと、その問題のある生徒に私が注意したら、クラスの他の子は「あ、先生が注意するからいいや。」で終わってしまうのです。

だから、そうはしません。

以前、西川純先生のブログで「個に寛容に、集団には厳しく(曖昧な記憶です・・・)」という記事を見たときがあります。

 

その意味が、今は、本当によく分かります。

 

とりあえず、何が言いたいかと言うと、『学び合い』は考え方なのです。

考え方だから、数学の授業以外のところでも、汎用的に使えるのです。

『学び合い』に関する本を20冊以上、読んで理解しました。