『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

「先生は教えてくれないのですか?」にどう答えるか?

昨日の授業で「先生は教えてはくれないのですか?」と聞かれました。

 

私は、その質問してくれた生徒には「質問にはしっかりと答えるよ。でも、その問題はこのクラスに解けている人もいるよね。例えば、○○さんは解説もさっきしていたよ。あと△△くんは昨日のうちにその課題はできていたよ。その人にぜひ聞いてほしい。折り合いをつけてね。」と答えました。

 

昨年度の『学び合い』の初期のうちの私では答えられない解答でした。

そして、『学び合い』が考え方であることを理解していない時の私であれば、「先生には聞かないでほしい。あの子に聞いてほしい。」などと、言っていたと思います。

 

最近思うことは、考え方は言葉に表れるということです。

自分の発言を客観的に見てみると、おかしなことを言っていたりしていると反省することが多々あります。そして、その発言一つにしても、学術データにのっとって言っているのかは定かではありませんでした。

私は経験が他の先生方よりも圧倒的にありません。だから今は、学術データにのっとって発言するように気をつけています。

『学び合い』の考え方ならば、このように語るはずだ。

『学び合い』の考え方ならば、このように対応するはずだ。

などと、自分の一つひとつの行動に責任をもって行動することを気をつけています。

 

昨日のあの場面で、もし私が一生懸命教えていたら、と考えるとぞっとします。

 

きっと、「あの子には先生が教えるから、私はいいや」「私には先生は教えてくれないのか?」と様々な視線で、他の生徒に見られていたに違いありません。

 

授業で、私は教えたり、質問にしっかりと答えるときもあります。

でも、その教える内容は数学の本質に関わる内容が多いです。

つまり、それくらい生徒は数学の本質に関わる部分まで考えているのです。

 

例えば、連続する3つの整数の問題のときに、4つ、5つ、と増やしていって新しい性質を見つけた生徒もいました。そして、その証明を私に説明して、OKですか?と聞いてきた場面がありました。そのような時は、しっかりと答えます。(帰納的な考え方から、演繹的な考え方の説明もしています。)

また、(わられる数)=(わる数)×商+あまり、という式を自分で立式してきた生徒について、説明を聞いたりもします。そして、さらに「じゃあ、小学校のときの余りで表す書き方は間違ってるのですか?」と質問してきた生徒もいました。それもしっかりと質問に答えます。

4÷7が分からない生徒がいました。でも、その計算を説明しようとするときには、小学校の算数の乗除法の本質的な内容を理解していなければ説明できません。だから、教えていた生徒からどのように説明したら良いか?を質問されたときもありました。

 

というように、このような内容にはしっかりと答えます。

生徒たちだけで解決できると私は信じています。

だから、その最低限クリアしてほしい地点までは生徒たちのみでいけるはずだと思っています。

だから、クラス集団にそれはゆだねます。基準を自分の中に持っています。

でも、『学び合い』の考え方で行う数学の授業では、数学の本質にぶつかる生徒もいます。その内容をクラス集団に考えさせたり、私が説明したりは、その場で臨機応変に対応しています。

そのようにして、授業は進めています。

だから、大学時代に勉強していた、算数・数学教育の勉強はとても授業で役立っていると実感していますし、もっともっと深く勉強したいとも思っています。

 

もし、『学び合い』で本質的な内容は教えなくてもよいか?と疑問を持っている方がいたら、声を大にして、「本質的な部分まで生徒たちは考えています!」と自信をもって言いたいです。