『学び合い』日記 in山形県鶴岡市

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

生徒との距離

今日、『学び合い』の手引きのアクティブな授業づくり改革編を読み直しました。

読んでいて反省すべき点があります。

 

 第3章の「13:子どもと繋がらないのでは、冷たいのではないか?」についてです。昨年度の学級経営、授業づくりで私が一番失敗したのはこの点でした。

はじめての担任。生徒たちはものすごくかわいくて、本当に一人ひとりのために力になってあげたいと思い、そうすることが教師の職能だと思い、必死に頑張った1年間でした。クラスの解散のときは、涙もあり、本当に1年目からこのようなクラスに恵まれて幸せな思いでいっぱいでした。

 

でも、それが失敗であることは気づいていました。

 

この本を読んだのは3回目?ですが、最初に読んだのが昨年の8月の中旬ごろでした。そのときから失敗には気づいていました。でも、一からすべてやり直すことはできないと思い、自分自身をだましつつ実践をしていました。

そうしていた自分の心の奥底には、いわゆる青春ドラマに出るような教師に魅力を感じ、それを信じて教師を目指し、そして夢を叶え教師になり、現場に出て、涙がありの別れまでを創り出していきたいという気持ちが少しあったのかと思います。

 

おかげで去年は集団に向かって「強く」「厳しく」語ることができなかったです。

 

ですから、今年は生徒との距離を考え、校長と職員の距離を目指して実践しています。

 

 

しかし、最近、私と生徒集団との距離が近くなってきていると実感しています。

 

担任をしているクラスでは、教育相談などがあります。そして、修学旅行もありました。体育祭に向けて、今は必死に取り組んでいるところです。

生徒たちは、「先生!先生~」と話しかけてきてくれます。

気軽に話しかけるな、とは言えないので、話しかけてきてくれたらそれに応えるようにはしています。

 

4月と比べて一番の違いは、クラスに「愛着」がわいてきたことです。

昨年度のクラス以上のものを私は創れないものと思っていました。

しかし、どれだけ生徒との距離を離そうとしても「愛着」はわいてきてしまいます。

給食中に、話に混ざることもあります。掃除中に、一緒に掃除をすることもあります。休み時間に、家庭学習ノートの点検をしていると、話しかけてきてくれる生徒たちもいます。様々なタイミングで、「愛着」がわいてくるきっかけがありました。

ある先生に、「(~~~な理由で)今年は生徒にあまり近づきすぎないようにしています」と言ったら、「でも、今年で24歳でしょ?その年齢でしか、できないこともあるから・・・。」と言われました。

でも24歳でも、教師です。教師として、マネージャーの位置を保とうとすることをしっかりと頑張っていきたいと考えていました。

 

教師はマネージャーに徹することが大切であることに気づいた昨年度。

上手くいっていた4月序盤。

ですが、その「マネージャー」という立ち位置を保とうとすることがどれほど難しいことかを実感しています。

学級担任として、クラス集団に厳しく言い続けることの難しさを実感しています。

 

この『学び合い』の考え方を一年間、果たして自分は保つことができるのかがものすごく不安になっています。

『学び合い』もどきになっていないか?大丈夫か?

守・破・離の「守」を徹していかなければならないと再認識しました。

教師の油断は、生徒に必ずばれます。

このことをものすごく実感している1学期です。

 

 

『生徒一人ひとりのために、真摯に向き合って頑張ることが教師の職能である』ことをずっと信じてきたので、その心がまだ自分の中に残っているのだと思います。

だから、そのことがいけないことだと分かっているとしても、生徒と向き合ってしまう自分がいるのだと思います。

①生徒との年齢としての距離が近いため、気を許すとすぐ距離が近づいてしまうこと

②『学び合い』の考え方の「対」になる教師の職能が私の心の奥に潜んでいること

この2つが今の自分の中での課題です。

この課題をクリアしないと、いつまでも成長できないと思っています。