『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

教師と子どもは同じ

 

 この本はもう4,5回は読んでいるバイブルです。

『学び合い』が上手くいかなかったり、もう一度考え方を勉強し直したいときに読んでいます。

 

この本のp102に「4|教師と子どもは同じ」というタイトルがあります。

この箇所を読んで、僕の中学校時代の担任の先生の考え方が『』に限りなく近いことを確信しました。

 

このタイトルの内容は「子どもたちは有能である」と「子どもたちは凄い!」は同じようで違うということを記述しています。

今まで、この部分を読んでいたときは、正直読み飛ばしていた箇所だったと思うのですが、また勉強させてもらいました。

 

ここには以下のような記述があります。

 

「『メール拝見しました。クラスが良く育っている様子、それを可能としている場を○○さんが確保している様子、よくよく分かります。しかし、一つだけ、書きたいと思います。それは、「なぜか知らないけど、私もそうですが、大人は一度ダメなヤツと見てしまうとその考えはなかなか変えられません。でも子どもは違う気がします。」という言葉に引っかかりました。この言葉は、子どもの可能性を信じる、「良い」言葉のように響きます。しかし、私は、「怖い」言葉と紙一重のようにも思えます。つまり、子どもと自分とは違うという解釈の仕方をしてしまえば、「子どもだからできない」という解釈に直ぐに繋がってしまいます。私は、そこで踏ん張って「子どもと自分は同じだ」と考えるようにします。(中略)私は、「子どもは特別に素晴らしい存在だ!」という言葉は、「子どもは特別に愚かな存在だ!」とは違うように見えて、「子どもと自分とは違う」という次元では全く同じだと思います。」

 

僕はこの箇所を今まで気にも止めませんでしたが、今はものすごい引っかかりました。

なぜなら、体育祭や合唱コンクールを終えて、「子どもたちは素晴らしい存在だ!!!!!」と考えていたからです。

でも、それは本当は危険な考え方で、『』の子ども観である「教師と子どもは同じ」という次元では見ていないということが明らかになりました。

 

そして、僕の中学校時代の担任の先生は言葉は違いますが、「一人間として、見る」として、教師も子どもも同じ目線、同じ次元で見ていました。

だから、改めて今回のことを気づかせてもらえるきっかけになりました。

 

書きたくて書きました。

『学び合い』って本当に奥が深いです…。