『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

「一人も見捨てない」の勘違い

『』をやっていて一番怖いのは勘違いです。

どんな勘違いかというと、「一人も見捨てない」の勘違いです。

 

まず1つは「一人も見捨てない」を方法として考えてしまう間違いがあると思います。

私もまだ覚えていますが、この『』の授業をスタートしたときの授業は今までの想像を超えてきます。

 

本当に子どもたちの精一杯頑張る姿に感動します。

 

だから、全員達成できたときは本当に感動します。

 

だからこそ、「この授業を続けていれば、生徒たちがきっと全員分かるまで頑張ってくれるだろう」という慢心が生まれてしまいます。

そして、この慢心から『』集団は崩れていきます。

大阪のフォーラムでK先生が、『』の授業は、クラスという船を子どもたちと立て直しながら進むのと似ているというお話をしてくれました。

 

だから、この『』の授業が子どもたちの学力を向上する都合の良い授業方法か何かと誤解していたらそれは注意が必要です。

 

 

もう1つは授業観(教師観)です。

ある『』もどきのようなものを行っている先生が、子どもたちのアンケートから、「先生に教えてと言っても、『あっちに聞きにいきなさい』と言われて教えてくれない」という記述があったようでした。

私はこの話を聞いたときに、「しっかりと本を読まないと失敗することの危険性」を強く実感しました。

 

これはけっこう学校でも誤解されることだと思うのですが、『』の本には、「教師は子どもたちに勉強を決して教えるべきではない」とは書いていないのです。

授業観(教師観)としては、「教授は子どもたちに任せるべき」と書いてあるのであって、断固として教えることを否定しているわけではありません。

だから、『』を「教師が教えるのではなく、子どもたちだけで勉強を教え合う授業」という方法で捉えているとしたらそれは危険です。

 

と書いている私も昨年同じようなことが1回ありました。

そのときに大切だと思ったのは、「いつでも聞きに来なさい」というスタンスです。

『』をはじめて初期の頃は、まだ先生からの授業に抜け出せなくて、先生に聞きたいという生徒もいると思います。

だから、そういう生徒がいたら、来る者は拒まず迎えるようにしています。

ただし、そのときに周りの子どもたちを巻き込むことも大切にしています。

そうして、課題を解決して、分からない問題を他者と折り合いをつけて解決できたとき、その子どもの中には、何とも言えない達成感が生まれると思います。

そして、徐々に「先生の説明を聞かなくても、クラスメイトと共に解決することの方が充実しているし、自分にとって得である」ことを実感して、『』の良さを感得していくのだと思います。

 

というか、質問した相手に、「あっちに聞きに行きなさい」と言われたら、教師である僕たちも嫌じゃありませんか?

僕がこのように言われたら、その先生のことを嫌いになると思います。

 

 

『』は考え方です。

では、その考え方はどのような場面で伝わるのかと言うと、そのような子どもたちと対峙する場面、語りの場面など、様々な場面で伝わると思います。

 

クラスメイトを見捨てない・裏切らない集団になるためにも、「一人も見捨てない」を勘違いしないことを意識して生活していきたいものです。

 

自分の思考の整理も含めて記述しました。