『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

正統的周辺参加

昨日からこの本を読んでいます。

「忙しい!」を誰も言わない学校―異学年学習・ジェンダーによる学校まるごとの処方箋

「忙しい!」を誰も言わない学校―異学年学習・ジェンダーによる学校まるごとの処方箋

 

 今、異学年合同『学び合い』の授業作りをしています。その中で、どんなメリット(良い点)があるのかを調べたり、考えたりしているところです。

 

ここで1つ壁にぶつかっています。

 

それはメリットがありすぎて、何を大切にして伝えたら良いのか分からないということです。(もちろん生じるデメリットもあるとは思いますが・・・)

 

私たち教師集団にとってもメリットはたくさんありますし、生徒集団にとってもメリットはたくさんあります。

 

きっと「異学年合同『学び合い』をする必要性はどこにあるのか?」という視点をもつ先生はいらっしゃると思います。

しかし、「異学年学習の方が自然で、同学年学習の方が異常な学習の形態なのである。」という文を読んで、自分の中で腑に落ちた点がたくさんありました。

また、その周辺の文には「正統的周辺参加」という言葉が出てきます。※詳細は

正統的周辺参加と足場づくりを見てください。

私自身の経験を振り返ると納得する部分が多くあります。

そして、今の職員室で実感することが多くあります。

 

私は今所属している学年団での現時点の目標は、「進路指導、進路事務をミスなく行うこと」だと思っています。(あくまでも、私が思っていることです・・・)

その際に、確かに「学び」が生起しています。

進路事務の仕事の話や、進路指導の話の仕方は大学の授業では学びませんし、学校の研修会でもありません。もしあったとしても、該当する学年でなければ、私にとっては耳を右から左に通りすぎてしまう話だと思います。

でも、今は課題意識があるので、進路指導主事の先生から学ぶことが多くあります。そして、自分から課題意識をもって積極的に聞いています。もちろんかなり歳の差はあります。むしろ、歳の差があるからこそ、良いのかもしれません。

ですが、固い関係ではありません。

私が所属している学年団はとても良い先生方が多いです。(本当に恵まれていると思います・・・)

私は年齢的には一番下ですが、なれなれしく話したり、冗談を言い合ったりすることなど、日常的にもかなりあります。(いたずらすることもあります。いたずらされることもあります。)

それでも、ある一定のラインは引いてお互いの先生方は話しています。

そのラインというのは、その集団内に所属していないと分からない「線」です。

ですから、もしかしたら、その「線」を知らない他の先生からすると、「なんて無礼なやつだ」と思われるかもしれません。

でも、その「線」があるからこそ、「無礼なやつ」ではない存在であると言えるのだと思います。

 

同年代のクラス内ではグループ化が起こります。それが時にはいじめを生み出すことにもなります。

でも、それは教師集団にも当てはまることでもあると思います。

もし、職員室の先生全員が同級生だったらぞっとします。

きっと、生徒たちと同じようなグループ化が起こり、同調圧力が生まれます。

そういうクラス内で起こることを、自分が所属する集団(例えば職員室)で考えると納得する部分が多々あると感じます。

 

「異学年合同学習は全然ためにならない!」ということを主張することは、今の自分を否定することになってしまいます。

 

職員室での私はプレイヤーですが、教室での私は監督です。

 

プレイヤーとして実感していることを、できるだけ分かりやすく教室という舞台で、監督という立場で語ることができるように準備をして、1つの提案授業をできたらと考えています。

 

2:6:2を忘れずにいきたいと思います。