『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

はじめての異学年合同『学び合い』③

生徒たちの活動がスタートしました。

 

開始早々、予習してきた3年生はすぐに答え合わせに向かいました。

そして丸付けをし、説明をするために、ホワイトボードを手に取る生徒も何人もいました。

 

最初は、1年生は1年生、3年生は3年生同士で取り組んでいました。課題が終わった3年生も同じ学年の人から説明し合うことをはじめました。

ちなみに問題の難易度はかなり高いです。求められる資質・能力を数学科の先生方と検討しながら、高度な問題解決能力を問われる課題設定にしました。

 

まずこの時点で思ったのは、異学年でも当たり前のことですが、自力解決時間は人それぞれ違うということです。

例えば、「最初は10分間自分で問題を解く時間を与えます」と言ったときに、もう課題ができた生徒にとってはどんな時間なのか?と考えてしまいます。また、低学力の生徒にとっては、逆に10分という時間は過酷な時間となってしまいます。もちろん、10分間が粘り強く考える時間となる人もいると思います。

 

でも、その「生徒」たちはクラスの本当に一人ひとりではありません。

 

『』で誤解される典型例の1つとして、「自力解決する力がつかないのではないか?」というものがありますが、そんなことは微塵のかけらもないと感じます。

 

きっと参観される方は「先輩が後輩に教える」姿を期待すると思いますが、実際は全く違います。

本にも書いてますが、「先輩たれ」を強いません。

そもそも教師としては「先輩が後輩に教えてほしい」ということを一切願っていません。もし一人も見捨てないために、そうする必要があるのであれば、自分から行動しなさい、という自然発生的な行動を考えています。

 

3年生の女子の生徒たちが様子を見ながら、1年生の女子の生徒たちに近づいていきました。まだ問題を解いているのを様子見つつ、3年生の同学年の課題が達成していない生徒たちの様子も見る・・・。そんな時間帯が続きました。

 

開始10分。

最初と光景は一変。3年生の一人が入り込んでいき、1年生と一緒に話す姿を見ると、その姿を見た周りの生徒たちも徐々に動き出し、説明をし合う姿が自然にありました。

これは自分にも当てはまるのですが、誰か突破口を開くと、次から次へとそれに続いていきます。

これは一度ビデオに撮影してから、後で見直すと分かるのですが、10分単位でくくると面白いほど、流動的になっています。

 

開始20分。

このくらいになると、男子の生徒同士でも関わり合いが出てきます。

3年生の男子が1年生に教え始めていました。

そして、3年生同士の『学び合い』が徐々に変わっていきます。

 

「ねえ大丈夫?」という声、「説明させて」「お願いします。」という声の掛け合いなど、が女子のグループでははじまりました。

また、1年生の女子でもキョロキョロ辺りを見渡す生徒が出てきました。

本時の課題は「3年生1人と1年生1人の合計2名に説明し、納得してもらえたらサインをもらう」というものでした。

当初は、「この場にいる自分以外の生徒2名に説明し、納得してもらえたらサインをもらう」という課題設定でしたが、指導案検討会の際に議論を重ね、あえて「3年生1人と1年生1人」という枠を設けることにしました。

3年生を探す1年生がこの時間帯になると出てきました。その中で「説明して良いですか?」「いいですよ!」などのやりとりがたくさん出ていました。

1年生から3年生に入り込む素晴らしい姿がたくさんありました。

 

また、これは1年生男子と3年男子の会話を聞いたものでしたが、課題を達成したはずの3年生男子が1年生男子に教えていました。

しかし、1年生男子が「そもそも、なぜ、角の二等分線は、角度を2等分するのですか?」という質問をしたところ、1年生の男子が納得するような説明をすることができず、その3年生は「先生の1年生の教科書を貸してもらっても良いですか?」ということを言ってきました。

そして、図形の対称性を根拠にして説明をし、その後輩から納得してもらえた姿がありました。

 

「後輩が先輩に教える」「先輩が後輩から教わる」と言いますが、一般的には先輩が一方的に教えている姿を想像するかもしれませんが、違います。

「後輩から気づかされる」それが学びにつながる、と言って方が良いのかもしれません。

後ほど感想用紙の文も載せますが、中にはこんな感想もありました。

 

「最初はすごく緊張していて、先輩に話しかけられるかすごく心配していたけどとても優しく、答えを教えるのではなく、アドバイスをくれた。~以下略~」

 

よく"学び合い"や"教え合い"というと、答えを"学び合う"、"教え合う"というイメージがあるかもしれませんが、全く違います。

 

この感想からも分かるように、アドバイスをする生徒が『学び合い』の考え方では出てきます。ただ、答えを教えても意味のないことを本人が分かっているのです。

 

そのアドバイスを送った生徒自身が、自分で悩み、誰かの一言、アドバイスで見方・考え方が変わったように、本当の「分かる」の意味を知っているからこそ、そのように今度はアドバイスを送る立場となることができるのだと思います。

 

そして、そのアドバイス、発問は本来は教師がするものです。でも、その発問を生徒たちが考えて、主体的に、対話的にできるのです。

その文化が拡がるのです。

もちろん、すぐにできるわけではありません。

4月からの積み重ねがそうさせたのだと思います。

 

ちなみに、「答えを教えるのではなく、アドバイス」をすることは、私が日々の授業で最も大切にしていることです。ただ、解答を黒板に写して答えを言うような授業は意味がありません。

4月から数学的な見方・考え方が育つと考えられる発問(アドバイス)を、私がグループに入り込んだ時に行ってきました。それを生徒たちが自然と真似をして、今では無意識にできるようになってきました。(これは生徒たちの会話を聞くと分かります。)

 

 

いよいよ授業は終盤です。