『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

最後の授業でのこと

一昨日、今年度最後の授業が全て終わりました。

終わって1つ思うことは、「まだやれた・・・」ということです。

 

今年度は『学び合い』の考え方における授業を四月からフルで行ってきました。

1年間行うことの楽しさ、愉しさ、難しさ、様々なことを勉強させてもらいました。

集団の状態が良いときもあれば、悪いときもありました。

良い方向に向かうこともあれば、悪い方向へ向かうこともありました。

教師としての私自身の感情もぶれた時期もありました。

 

色んなことがありましたが、まず今の私の課題を書きます。

 

①語り

まずは語りです。正直、福島哲也先生の飛び込み授業を見るまでは、全く想いが伝わらない語りだったと思いました。

語りを磨くため、本はもちろん、色んなことを勉強しました。

その成果が少しずつ現れたのは2学期から3学期の序盤にかけてだと思います。

教師の本気の想いを生徒たちに伝えることの大切さ。

当たり前だけど、ないがしろにしがちな部分の怖さを知りました。

AIにはできず、教師にできること。

それが本気の語りだと思います。

 

②課題設定

3学期の中盤から後半にかけての課題設定で悩みました。

3年生は集団としての力も成長してきたと感じたので、全員が共通の課題を達成するものではなく、一人ひとり目指すべき所が違えば、課題の設定の仕方もそれぞれが異なる。だから、一人ひとり毎時間の課題設定は任せて、あくまでもその設定した課題を全員達成するという考え方で授業を行いました。

 

確かに成果は出ました。

 

ですが、「全員が何としても課題を達成する!」という、命がけ・本気、必死の姿勢があまり集団の中に表れなくなった感じもありました。

 

分からない問題があれば、自分にとって適切なクラスメイトに聞きに行き、そしてそれを聞いたら、いつまでもそのクラスメイトの近くにいるのではなく、自分の席に戻る。

時にはグループで議論し合って解決に励む。

時には、一言もしゃべらず、黙々とクラス全員が問題を解いている時もある。

そして、再び、自分の課題に取り組む。

このようにして、毎回の授業を行っていて、生徒たちのアンケートも良いですが、私は受け持っているクラスの本気になった時の集団の状態を知っているあまり、何か物足りない感情がありました。

 

低学力、中位層、上位層であるのは実態であって、あくまでも目指すレベルに達する事を全員が目指すという考え方をもとにした課題づくりを来年度は大切にしたいです。

 

大きく2つの課題は以上のようなものです。

 

『学び合い』の授業で毎時間、クラス集団に必死さを求め続けさせるような状態を常にキープするようにしたいです。

集団の高度な状態を知っているだけに、またさらに上を目指したくなります。

そして、またその上を知れば、さらにその上を・・・、というように、ずっと高度な状態を求め続けることの大変さ、難しさ、そのための準備の必要性を実感しました。

点数の数値化を今年度の最後は甘かったなあ・・・と反省です。

 

 

 

最後に。

昨年初任だった私のはじめて担任した生徒で、今年度は残念ながら、教科担任のみの生徒がいました。

その生徒は去年の1学期の私の苦しみも知っているし、2学期から『学び合い』をはじめた時のことも覚えている生徒です。

いわゆる上位の二割に入る生徒でした。

 

その生徒が一昨日の最後の授業でのこと。

 

「~今年1年間、みんなのクラスを担当することができて、先生は本当に幸せでした。本当にありがとう。いつまでもこのクラスのつながりを大切にしてください。さようなら・・・。」

 

最後の私の語りの後、その生徒は泣いてしまいました。

 

それにつられて私ももらい泣きをしてしまいました。

 

その時、「最後の授業で泣くことができるなんて、なんて素晴らしいことなんだろう」と実感しました。

 

私の経験上、部活動や行事ごとでない限り、そんなに感動をもらって泣く経験をしたことがありません。

ましてや、授業なんて・・・。

という感じでした。

 

『学び合い』の本に書いてあるとおり、授業で涙を流すことができるんですね。

また1つ現実になりました。

 

 

来週は卒業式です。

「一人も見捨てない」を最後まで貫きたいと思います。