『学び合い』日記 in山形県

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

評価が甘い=集団がダレる

4月からスタートして、『』の実践で自分に足りないことがわかりました。

 

 

それは「集団の評価」です。

 

 

最近、3年生の1クラスなのですが、徐々に生徒たち何人かが、何か集団に対しての関心が向かっていないことが気になるクラスとなっていました。

 

わかり方は生徒たちの数だけ存在するので多様性を認めることが大切だと思っていましたが、それで点数が取れていない生徒が一定の数いる場合、良い学習ができていない証拠になります。

つまり、多様性を認めた学習をしていたとしても、点数が取れていなければ、よい折り合いをつけることができていないことの裏付けになります。

 

私はこの「点数にこだわる」ことを生徒たちに口でしか伝えていない状態でした。

ここが抜けていることが私の今の失敗だと気付きました…。

 

中体連前であることを言い訳にしたくはないのですが、だいたいクラブ終了が19時。

そこから色々と最近は生徒指導の電話などが入り、準備不足な部分があり、毎日の課題の精選はやっていたものの、「評価」のためのテストの作成はしていない状況でした。

 

だから、『』で生徒たちが、自分たちの所属する集団から無関心になっている生徒が出始めたのではないかと思いました。

今考えると、4月から『』の授業がスタートして、そろそろ慣れてきた5月から6月に差し掛かるこの時期。

私自身も認めたくはないですが、慣れてきた部分はあるのかと思います。

 

点数にこだわることで、生徒たちが自分たちの所属する集団からの関心がなくなることを予防することを、私自身が甘えて行っていなかったことを反省しているところです。

 

多様性を認めても、結果がでなければ、良い関係を築くことができていないことの証拠です。

折り合いをつけることができていない証拠です。

ただの仲良し学びと一緒です…。

 

自戒の意味も込めて書きました。

教師観に甘えが出ると、こうなることを改めて実感しています。

 

それにしても、「教師観:教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授は子供に任せるべきである」とありますが、実践すればするほど、この教師の仕事がどれほど重要で責任が重いかを実感します。

 

 

これから『』をはじめる人にも心を鬼にして言いたいのが、「誰でも本を読めば、はじめることはできるけど、長期的に続けるのであれば、今まで以上に力を注がなければいけない部分には責任があるよ」ということです。