『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

【本通り】〜生徒の分からなさ〜

夏休みの個人の目標として、もう一度『』の本を読み直して、今までの自分の実践の振り返りや考え方の整理などをしていきたいと考えています。

ブログタイトルで「本通り①」というように書いたら、『』の本において、私が大切にしている言葉についてのことが中心の内容を記述していきたいと思います。

 

まずは、この本からスタートしていきます。

 

 

p8:教師は勉強の不得意な子どもがどこに躓いているかは分かりません。

これをどのように受け取るかが大切だと思います。

「いやいや、私は子どもがどこに躓いているかはすぐ分かるよ!」や「こういうところに引っかかるよね」という方がいましたら、私は本当に尊敬の目を向けます。

本屋にもよく、「生徒たちの分からなさ」「生徒たちの躓くポイント」など、様々なジャンルの本が書いてありますね。

 

断言します。

私は、勉強の不得意な子どもがどこに躓いているかは、分かりません。

そのことを現場に出て、初任の時に肌で感じました。

『』は生徒という生徒が一人もいないことを前提にしています。「分からなさ」のポイントが、大多数の生徒には当てはまるかもしれません。でも、あくまでも「大多数」であって、全員ではありません。

だから、「生徒たちの分からなさ」と言われたときに、私は、私と関わる全ての生徒の分からなさについて、理解することは不可能だと考えます。

 

私は大学時代は、生徒のある分野の意味理解の困難性について研究してきました。大学生にアンケートをとったり、理解の様相を記述から読み取ったりして、タイプ別に理解度を分け、論文としてまとめました。

現場に出たら、調査する生徒たちの数を増やし、さらなる理解度のタイプ別の様相研究を行おうと考えていました。

しかし、実際に生徒たちを目の当たりにして、大きな壁が立ちはだかりました。私が大学時代に予想していた以上に、生徒たちの多様性があることに気付かされたのです。

その多様性に負けじと、その研究を継続しようと考えましたが、必ず自分の考察した理解度の枠組みに当てはまらないタイプの生徒が出てきて、また理解度のタイプが広がり、また別の当てはまらないタイプの生徒が出てきて、また理解度のタイプが広がり…、というように、エンドレスに陥ると考えました。

 

ある程度の様相モデルができれば、私としては満足のいくものになるのかもしれません。

そのモデルを突き詰めることは、私の教師人生としてはプラスになると思います。

でも、生徒たちの人生のプラスになっているという自信を強く持つことができませんでした。それは、

どうしても理解度別に分けても当てはまらない生徒の存在が引っかかっていたからです。

 

このことが常に私の頭の中に引っかかっていました。

だから、その生徒にとって私の研究は何か意味のあるものになっているのだろうかとずっと疑問に思いながら継続していたと思います。

 

 

このような背景があって、今の『』の考え方で学校生活を過ごす自分がいます。

p8:教師は勉強の不得意な子どもがどこに躓いているかは分かりません。

 

 

皆さんは、生徒たちの「分からなさ」の研究を本気で調査したことがありますか?

 

私は、分かりませんでした。(まだ本気ではないよ、と言われればそれまでです。)

悔しかったですが、自分なりに本気で調査して、本気で研究しても分かりきることはできませんでした。

研究に終わりはない、と言いますが、果てしなく思ってしまいました。

 

 

たった一文ですが、本気で意味を考えてみると、とても深い一文です。