『学び合い』日記

『学び合い』(2重カッコの"学び合い")の実践の奮闘日記です。

教科の本質を求めると…

今日、また改めて生徒たちから気づかされたことがありました。

それは、教科の本質を求めすぎると、一部の子にはフィットするけど、フィットしない子も出てくるという至極当たり前のことです。

2つの要点にまとめて書きます。

 

まず1つ目は、教科の本質を求め過ぎること、面白い題材を使って教師が誘導しようとすると、その教材がフィットする子が2割、どちらとも言えない子が6割、ほとんどフィットしない子が2割出てくるということです。

具体的な例を話します。

今はテスト前で演習の期間です。

『』の考え方で授業を進めているので、時数にも余裕があります。そのため、面白い題材を扱って教科の本質を考える授業を行おうと思っていたとします。(※まずそもそも「教科の本質って何?」という話が出てくるのですが、それは今回は置いておきます。)

問題解決型で進めて発問をすると、興味のある生徒は食いつきます。でも一方で、その活用問題を行う以前の生徒がいます。その生徒たちにとって、どのように耳に言葉が入っているのかが非常に気になるのです。

教師の言っていることが分からない生徒が一定数クラスにはいます。

「面白い題材って誰にとって?」「教科の本質ってどこまでが本質?」「その本質を1時間で身につけることができるとしたら、その本質を勉強している教育学者に失礼では?」など、いろんな考え方もあります。

以上のことから、まずは教科の本質を「教師が」求めすぎることのデメリットを肌で感じました。

 

2つ目は、成熟した『』集団を育てることに力を入れると、教師が意図しなくても、その集団の中で「教科の本質」に限りなく近い話し合いを進めていくということです。

これも具体例を話します。

『』集団を高いレベルにまでもっていくことに力を入れると、「おっ、そんなことまで考えるのか〜」「そのことに気づけるのか〜」「その考え方は思いつかなかった…」など、教師が意図していないところで、素晴らしい発想や考え方が見られるのです。

こればっかりは学術的に述べることができないのですが、「子どもたちは有能」なのです。

勉強以外でイメージすると分かりやすいかもしれません。

『』の考え方と自覚はしなくとも、それと似たようなチームってありますよね?

「野球部」「サッカー部」「ラグビー部」などの強豪のチームは、自然とそのような考え方のもとで練習しているチームが多いのではないかと思います。

今年の夏の甲子園を沸かせた金足農業も「全員野球」の意識を部員全員がもって取り組んでいたことが様々な記事や映像からわかります。そして、準優勝に輝きました。

その教科の専門的な部分を生徒たちに気づかせるように、共に問題解決をしていきたい気持ちは大切です。しかし、『』の考え方で行う授業では、たくさんの感動が生まれます。

悔しいですが、意図して学ばせる力量はまだ今の自分にはありません。

でも、意図せずともその教科を学んでいく集団づくりはできます。

 

以上の2点のことを昨日と今日の授業から学びました。

 

改めて課題設定の難しさを感じた授業でした。

でも、明らかに『』の方が「マシ」です。